共立出版から刊行されている「せめぎ合う遺伝子(原題:Genes in Conflict)」は、本来の遺伝の法則とは無関係に受け継がれていく利己的な遺伝因子について、極めて詳細な解説に満ちている良書であるが、本書の10章ゲノム排除(genomic exclusion)では、分子細胞生物学の専門書では触れられる機会がなさそうな現象が事細かに記述されている。遺伝子排除という言葉だけでは、ウマカイチュウが卵割期に営む染色質削減を思い浮かべるが、以下のような現象は、ほとんど知られていないのではなかろうか。
1. 雄における父方ゲノム排除(paternal genome loss ; PGL)
雄は二倍体として生まれるが、子孫には母方の染色体のみを伝える現象。父方の染色体が発生初期に失われる種もある。カブリダニ(Amblyseius sp.), トビムシ(Ptenothrix sp.), ミカンコナカイガラムシ(Planococcus citri), キノコバエ(Sciara sp.), コーヒーマメボーラービートル(Hypothenemus hampei), タマバエ(Mayetiola destructor)等の昆虫類に見られ、体が小さいことや局所的配偶競争に関わりがあるとされている。母親から受け継いだ内部共生細菌とも関わりがあるとされている。
2. ヘミクローン繁殖(hemiclonal reproduction)
種間雑種にのみ認められ、無性的な(ヘミクローン性の)雌が世代ごとに近縁の有性種から父方の遺伝子を借りる現象。カダヤシ(Poeciliopsis), ナナフシ(Bacillus), ウォーターフロッグ(Rana)などに見られる。一種の雑種形成だが、生まれる子供が雌の場合が多く、母親から娘へと一倍体ゲノムをそっくり伝え、次の世代には新たに他の半分のゲノムを借用しては捨て去る傾向にあるため、“ヘミクローン繁殖”と呼ばれる。
3. 母方ゲノム排除(maternal genome loss)
生まれる子供世代が父親の染色体のみを伝える現象。父方ゲノム排除に比べ、知られている例は非常に少ない。イトスギ属の木(Cuoressus), 二枚貝(Corbicula), ナナフシ(Bacillus)でしか知られていない。雌雄同体である前二者では頻繁に起こるが、雌雄異体であるナナフシではごくまれに起こる。
上記現象は、性染色体が優位に遺伝するために維持されている、地理的に隔離された環境で手早く子孫を産み増やす利点がある、等、その存在意義は様々な論文で語られているだろうが、これらの動植物に繁殖のためのマーケティングをの思考を凝らすだけの知能があるとは思えず、あるとすれば言語化できない本能だけだろう。本能とは繁殖であり、繁殖は生殖細胞が機能しなければ意味を成さない。この生殖細胞形成における有糸分裂のエラーや分裂装置の変異によって単為生殖を営む種が生まれ、絶対的に雌だけで生き続ける種もあれば、出会った相手と交雑して希少な遺伝子交換を営んで雄性生殖の真の機能である遺伝子の修復にありつき、有害かもしれない遺伝子を得る機会を避けたり劣性の遺伝的変異の蓄積を避ける機会にもなるのかもしれない。
2010年のBMC Evolutionary Biology 10:258に掲載された、ナナフシの一種Clonospisの雑種形成の進化に関する論文を例に挙げる。ミトコンドリアおよびゲノムDNAの比較解析から、三倍体の染色体を持つ生殖細胞の有糸分裂を経て四倍体の染色体を持つ二倍体の雌が単為生殖のC.soumiaeの起源であり、三倍体の染色体をもつ二倍体の雌が単為生殖のC.gallicaの起源であると考えられている。いずれも有糸分裂の後期にanaphasic restitutionが起こり、本来生殖細胞は一倍体のままであるのに、多培体になるのである。一方、父親ゲノム排除がわかっているC.androgenesの場合は、出発は三倍体の染色体を持つ生殖細胞だが、通常の有糸分裂を経て生まれたのが二倍体の染色体をもつ二倍体の雌である単為生殖のC.androgenes-35で、anaphasic restitutionを経た後何らかの原因でX染色体を失ったものが三倍体の染色体をもつ二倍体の雌である単為生殖のC.androgenes-53と考えられている。
2010年のBMC Genetics 11:104に掲載された、実験動物として在り来たりなショウジョウバエの論文も例に挙げる。キネトコアに局在するYem-alphaというUbiquitin/HPC2ファミリーの遺伝子の点変異で有糸分裂のI期が異常を来たし、生殖細胞が形成できないのだが、この変異に加え、有糸分裂で相当組み換えができない変異も持つ生殖細胞では、見掛け上は野生型と同じような染色体の分配が行われるが、単為生殖で子孫を残せる個体が生まれるらしいのである。
単為生殖を生活環の中に持つ動物ではアリマキが有名であり、雌しか存在しない単為生殖の動物ではワムシが有名だが、トカゲの一種ではワムシのような絶対的な単為生殖を営む種でも、実際には有性生殖が可能なものがいる。2011年のPNAS 5月4日号では、Aspidoscelis属で、同属異種の個体(もちろん雄になる)と交雑し、両性の子孫が生まれたのである。確かな有性生殖であることは、染色体の形態観察やマイクロサテライト解析で確認されている。このトカゲは、前記論文以前のNature 2010年3月11日号のLetterで、単為生殖であっても姉妹染色体同志の対合が起こることが明らかとなっている。
以上、有性生殖をしながら実質的には無性生殖といえる例およびその正反対の例を散策してきたが、真性細菌である大腸菌でも遺伝子の受け渡しがあるように、遺伝子のメンテナンスという意味で有性生殖はやはり基本であるように思える。無性生殖は一見進化的な意味があるように思えるが、きっかけは染色体分配の手違いや分裂関連装置の変異を基本にした何らかの手違いで発明され、本当は交雑できるのだ、という生物が現存してきたのではないだろうか。ワムシでは交雑は見つかっていないようだが、期待したいものだ。結びになるが、無性生殖が持つ有性生殖の潜在能力は、系統の異なる生物間の交雑でもたらされる幼生転移の肯定に繋がるものと、私は勝手に思っている。
posted by ロスジェネ at 00:36| 北海道

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