2012年03月31日

ブログ終了!ありがとうございました!!

4年間、ブログをやっていた。
正しくは、ブログに逃避していた、と言ってもいいかもしれない。
でも、自分が溜めこんでいたものを吐き出せたという点では、
良かったと思っている。小説も絵もエッセイも、ブログがなければ、
誰かがネタにする可能性もなかったのだから。

この国はどうなるのだろう?ロスジェネって市民権を得られるのだろう?
私はこの先生きられるだろうか?いろいろあるけれども、
ブログを終えるには持ってこいの日だと、私は思う。
睡眠時間は4時間ちょっとという、ときめくアイドルのまゆゆ並みの
睡眠時間になってしまったが、2012年は変わる年にすると決めた以上、
止めないといけないものも出てくる。こればかりはどうしようもない。

もしブログが更新されることがあれば、単なる情報の整理くらいに
思ってほしい。日記などが書き連ねられることは基本的にはない。
なんだかさわやかな気分である内に、筆を擱こう。では、アディオス!!
posted by ロスジェネ at 23:59| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月28日

コンビニ弁当から転職を考える ――見えていない選択肢を増やそう、世界が広がる

日経ビジネスコピペ。

コンビニのお弁当って、最近はずいぶんおいしくなりました。有名ラーメン屋とのタイアップなど、様々な工夫を凝らして、飽きさせません。また、新製品が旬に合わせて季節ごとに登場したりします。

 コンビニ弁当が人気を集めている理由は、味がよいことももちろんでしょうが、次々と新製品を出して飽きさせないところにもあるでしょう。それによって、定番のお弁当だけを食べていたのではわからない、新しい味を発見できる機会が増えます。ただ、その一方で、おいしかったお弁当がいつの間にか店頭から消えて、新製品にとって代わられてしまうこともあるので、それはそれで残念なことなのですが。

 選択肢が次々と用意されることが、人々に新たなチャンスを与える

大げさに言えば、そんなことになります。

 もちろん、選択肢を広げることにはデメリットもあります。新製品等に手を出して、まずい思いをすると、定番商品やなじみの商品を買えばよかったと思うこともあるかもしれません。仕事のことでいえば、今いる会社あるいは今の仕事をずっと続けていったほうが、リスクやコストが小さいかもしれません。

 けれども、環境変化が激しかったり、世の中の動きが早かったりする場合には、そんなふうに限られた選択肢の中だけで行動していると、変化に対応できなくなることも多いのです。一つの道を突き進むことも重要ですが、社会が変化しようとしている時代には、変化の動きを的確に読み取り、自分に合った選択ができているかを確認していく作業が必要です。

択肢を広げる訓練をする

 そのためには、見えていない選択肢を見える選択肢にしていく工夫と努力が大切です。単なる買い物であれば、選択肢を狭めてその中で楽に選んでいても、問題はないですし、そのほうがずっと楽だったりするかもしれません。でも、人生の選択ではそんな手抜きはおすすめしません。

 そんなふうにあちこち目移りしていては、ろくなことはないという人もきっといるでしょう。もちろん、腰を落ち着けてじっくり取り組むときは取り組まなければいけません。あちこち選択肢を探してばかりいて、何も選択しないのは大きな問題です。幅広い選択肢を考えたうえで、迅速に選択することが大事なことは、いうまでもありません。

 でも、自分には実はもっと選択肢があるのではないか、ここにもあそこにも道が広がっているのではないだろうか、と考えながら走る、その姿勢がとても大事だと思います。これからの世の中は、思わぬところで大きな変化が生じたり、大きく社会環境などが変わる可能性も高いのですから。

 今後の世の中を考えれば、皆さんの中の選択肢としては、さまざまな海外活動が含まれてくるに違いありません。でも、そんな世間的に勇ましい話ばかりなくてもよいのです。介護のために休職をする、あるいは職を辞するというのでも、立派な選択肢です。大事なことは、既成観念に縛られることなく、自分にはどんな可能性があり、どんな選択のしようがあるのかを、幅広に考えてみる姿勢です。

 そうすれば、今見えている選択肢の範囲では、行き詰まりを見せているような状況でも、実は

 選択肢を広げて考えてみると、はるかに豊かな可能性が広がっている

ことに気づくはずです。

選択肢は会社のなかだけではないはず

 たとえば、会社で働いていて、どうしても成績が伸びず、悩んでいるとしましょう。たいていの場合は、その会社の中でどうやったら挽回できるのか、どうやって自分のポジションを見つけ出すかに腐心しがちです。

 でも、実際は、選択肢は会社のなかだけではないはずです。他の会社を選択肢と考えることもいくらでもできるはずです。もしかしたら、他の会社ではその人の能力をもっと評価してくれるかもしれません。そう考えてくると選択肢は多様にあることに気がつき、気分はずっと楽になるはずです。


[画像のクリックで拡大表示] どうしても手近なところで判断をしていると、選択肢は狭いものになりがちです。でも、いざというときには、自分はほんとうはどこにいくことができるのかというのをよく把握しておくことが大切だと思うのです。眼にみえなかった選択肢も、眼をこらしているとみえてくる。眼をこらすことを恐れないようにしましよう。

 選択肢を増やすことは、単純に見えなかったものを見えるようにするというメリットばかりではありません。今まで自分の考えのなかになかった新しい選択肢を増やしていくことも大事なメリットになります。世界は大きく変化しています。これからの社会は、今までとは大きく違ってくることでしょう。そんなときに必要なことは、新しい選択肢だったり、新しいルートだったりを見つけ出していくことです。

いつもと違うことを少しずつやってみる
 いつもと違うことを少しずつやってみることが、思わぬ大きな展開を生み出すのだと思います。その場合のキーワードの一つは、「新しい結びつき」です。

 今までとは違う「情報と情報の結びつき」「人と人との結びつき」が思いがけない価値を生み出すことが知られています。だから、少しずつでも良いから、いつもと違う人と会ってみたり、いつもと違う情報にアクセスしてみたりと、今までとは違うことをやってみることはは大事なことだと思うのです。

 そのときには、何か直接的な成果を性急に求める必要はありません。むしろ、直接的な成果を求めずに行動したほうがうまくいく可能性は高いように思います。何といっても、思いがけない結びつきを探しているのですから。

http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20120321/303012/?ST=business&P=4

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2012年03月24日

えんだんじさんのブログのコピペ。

若い女性たちに告ぐ(その1)By えんだんじ ( 3月 24, 2012 at 9:33 AM) ・ Filed under エッセイ


読者の身内に若い女性がいれば、ぜひこのブログを見せてほしいと思います。このブログの転載、拡散を歓迎します。

結婚適齢期
結婚適齢期という言葉は、いまやほとんど死語になってしまった感があります。そのために今の若い女性は、私の年代ならば男性でも知っている常識すら女性なのに知らないのです。その常識とは、結婚適齢期という言葉あるように、女性は20代の若いうちに子供を生んでおかないとだんだん子供を妊娠するのが難しくなる、特に35歳ぐらいをすぎると妊娠、特に初妊娠は難しくなってくると言うことです。先月、NHKの番組、「クローズアップ現代」で卵子の老化が不妊の原因になると報道していました。女性には結婚適齢期があることが医学的に証明されたわけです。その報道にほとんどの若い女性がびっくりし落胆していました。彼女たちは、40歳過ぎても簡単に妊娠できると思っていたのには私と一緒に見ていた女房もびっくりしていました。番組の中で女性は生まれた時から卵子があり加齢とともに卵子は老化、その老化した卵子は決して若返ることはありませんと報道され、女性たちはショックを受けていました。ある40代の女性は、これまでの三度体外受精を試みて失敗してきただけに絶望感に襲われていました。

人類が地球上に誕生以来、人類社会が発展してきました。人類社会が男を中心として、すなわち男が主役を演じて発展してきたのは、女性には妊娠期間が限られており、また子孫を増やすため、また産児制限もできず何人も生みますから出産と子育てに追われます。そのため女性が社会的に進出するのもむずかしかったからです。結婚適齢期という言葉は、いつ頃から使われたか知りませんが、長い人類の歴史から、女性は若いうちには子供ができやすいが、高齢になるとなかなか妊娠しにくくなるし、高齢初産は、母子ともに危険を伴いやすいということを長い歴史的体験で知っていった。それで女性は子供を生むためにどうしても結婚時期が限定されてしまう。そこで日本では結婚適齢期という言葉が生まれたのでしょう。そして結婚適齢期を迎えた娘を持つ家庭は、早く結婚相手を決めなければという社会的雰囲気が長く続いた。ところが世界中の女性の社会環境が激変する事件が起きた。第二次世界大戦という大戦争です。戦争期間中若い働く男性の数が激減し、代わって多くの女性が社会に出て働き出す現象が起きた。大戦後もその勢いがそのまま続いた。そして1970年代にウーマンリブという女性解放運動が世界中に広がって現在にいたっています。その間「結婚適齢期」という言葉は、女性を家庭にしばりつける言葉として、あるいは女性が男性の従属物のような存在を表す言葉として完全に嫌われ、使われなくなってしまった。その結果若い女性たちは、女性には妊娠適齢期があるという意識が薄れてしまい、医学も進歩したしいつでも生むことができるというような錯覚に陥ってしまったのではないでしょうか。結婚適齢期という言葉の他に妊娠に関して私たちの年代の人間には男でも知っているもう一つの常識があります。高齢出産の危険性です。昔のように若い時に三人も四人も生んでおれば、高齢出産の危険度も少なくなりますが、初産の場合は、赤ちゃんが健康体で生まれてくるかどうか、母体に悪影響ないかどうか危惧するものなのです。ところがこれも医学の進歩で女性も産婦人科医も高齢出産を安易に考えているのではないでしょうか。

その典型的な例として自民党衆議院議員、野田聖子氏をあげることができます。彼女は、40歳の時に自然分娩が不可能な体であることが判明。以後三年間に八回の体外受精を試みたが失敗。他人の女性の卵子の提供を受けて受精させることは、日本では法的に禁止されています。アメリカは州によって法的判断が違います。ラスベガスがあるネヴァダ州では法的に許されています。そこで彼女は、ネヴァダ州に住む白人女性の卵子を購入し、野田聖子の夫の精子との受精卵を自分の子宮に入れて人工妊娠し出産した。出産した時彼女は50歳でした。典型的な危険な高齢初産です。産婦人科医も高齢初産の危険性を彼女に話したと思います。無論高齢初産の安産例も多いでしょう。私の想像では、もし彼女の卵子と夫の精子との体外受精なら、高齢出産を避けるため若い代理母を利用したのではないかと思います。しかし卵子は外国人女性のもの、それに代理母では自分の母親としての存在感がなくなってしまいます。高齢出産の危険は多少あっても自分で生む決心をしたのではないでしょうか。しかしもう一つの選択肢もありました。白人女性の卵子、すなわち他人の卵子を利用しては自分と血のつながった子は、できません。それなら孤児の里親になり、養子にする選択もあったはずです。それでも夫の血のつながった子が欲しかったのかもしれません。その辺は夫婦の葛藤が当然あったでしょう。

2011年1月彼女は、男の子、真輝(まき)ちゃんを出産した。真輝ちゃんは誕生後次々に難病に襲われた。「臍帯(さいたい)ヘルニア」、「食道閉鎖症」、「極型ファロー四徴病」などいう心臓病、「脳梗塞」など、手術、治療中に右手、右足が麻痺、気管切開の手術で真輝ちゃんは、赤ちゃんの泣き声を失った。手術は計6回におよんだ。今年1月真輝ちゃんは、無事満一歳の誕生日を迎えた。まさに医学の進歩のお陰だが、しかし母子ともに悲劇と言っていい。私は、彼女に対しての同情は薄い。出産後彼女はテレビに登場し、色々発言しているようですが、彼女の経験から,もし子供が欲しければ若いうちに結婚して子供を生んだ方がいいなどと発言していないからです。キャリアウーマンとして成功している女性だから、決してそんなことは言うまいとする虚勢を感じてしまいます。ウイキペディアによると、彼女はシングルマザー推奨を公言しています。子供は両親に育てられるのが当たり前だし、子供にとってもその方が望ましく思うのが当然です。したがってシングルマザーなど当初から考えてもみなかったけど、結果としてそうなってしまったという事は当然多々あるケースですから問題にはなりません。しかし最初からシングルマザーを望むとは、彼女は生まれてくる子供のことを考えていないのだ。子供を自分の欲望の道具として考えている面があるのではないでしょうか。彼女のこういう考え方が、資力にまかせて外国人女性の卵子を買い、自分の子供を生ませよう、すなわち資力に物を言わせて自然の摂理に挑戦してまでも彼女の欲望を満たせようとしたと考えるのは酷な言い方でしょうか。
自然の摂理に対する私個人の見解は、夫妻の精子と卵子を使っての体外受精までです。他人の精子、卵子を使っての妊娠は、自然の摂理に反することです。

キャリアウーマンとして成功している女性にとって子供の出産は深刻な問題です。アメリカでは精子や卵子の凍結サービスを提供する会社が存在します。合法的に認められているからです。アメリカ人のキャリアウーマンの中には、自分の卵子をいくつか取り出して液体窒素で凍結しておき、結婚したい男性が現れたら彼氏の精子と体外受精させて子供を持とうと計画している女性もいます。卵子凍結にどのくらい費用がかかるか? アメリカの週刊誌、「ニューズウイーク」誌(2010年版)によると卵子凍結治療費15,000ドル。1ドル80円とすると120万円、保存費用は最初の1年間は無料、それ以後は年間4000ドル(32万円)。しかし卵子凍結には問題があります。体内から取り出した卵子をすぐに体外受精させるのは可能ですが、将来に備えて凍結していた卵子を取り出し対外受精させるのは難しく成功したケースはほとんどないと言われています。卵子の取り扱い方は精子よりむずかしいのです。それでもキャリアーウーマンの中には、自分の卵子を凍結しておこうという女性がいるのは、凍結した精子で成功しているのだからそのうちに凍結卵子で成功するのも近いのではと予想しているからでしょう。従って次のようなケースも充分考えられます。本人が60歳になった時、凍結卵子を使用して子供誕生が可能になり、20代の時に凍結しておいた自分の卵子を取り出し、誰かの凍結した精子を買い取り、体外受精させ、自分はもう年寄りだから自分の子宮を使っての妊娠は無理、そこで代理母を使って生ませる。ついに60歳にして我が子誕生です。本人には大満足でしょう。私はこれでは、資力を使ってただ自分の欲望を満足させただけで、生まれてくる子供のことは全然考えていないのだと考えざるを得ません。皆さんそう思いませんか。

そこで私は皆さんに強調したいのです。女性には、結婚適齢期という言葉があります。しかし結婚適齢期という言葉が気に食わなければ、使わなくてもかまいません。しかし妊娠適齢期というものがあるということです。好むと好まざるとにかかわらず、妊娠適齢期を否定することはできません。これは女性の宿命です。体外受精する場合でも、卵子は老化しますから若い妊娠適齢期に行わなければならないのです。そこで自分は絶対に自分の子供が欲しいと思う女性には、私には提案があるのです。女性の人生は、男より長く平均もう90歳でしょう。そこで女性の人生二度説です。20代で結婚、20代で子供を一人、二人生んでおいて、30代に入って二人目、ないし三人目を生んでおくのです。私は子育て卒業は、中卒ぐらいまでと考えています。中卒頃の子供の母親は、45歳前後から50歳前後になっているでしょう。ここまでを女性の第一の人生、それ以降90歳までのほぼ40年間は、女性の第二の人生です。その時の各自の経済状勢に応じて働き続けるのもよし、新しく何かにチャレンジするのもよし、自由自在に活動できるし、またするのです。こんな人生計画どうでしょうか。皆さんどう考えますか。

この「若い女性たちに告ぐ」シリーズは、(その4)まで続ける予定です。次回(その2)は、2週間後の4月7日(土)のブログに載せます。話題は、「選択的夫婦別姓」についてです。引き続き読んでいただけたらと思っております。

posted by ロスジェネ at 11:18| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月22日

渡辺麻友(まゆゆ)ミニイベント!!

ソロデビューのミニイベント、
お疲れ様でした。

本ブログは今月末で本当に終了しますが、
まゆゆには永遠の輝きを放ってほしいと思っています。
ツインテールに終わりなき栄光があらんことを・・・


posted by ロスジェネ at 21:15| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月20日

アポトーシスがつなぐかもしれない、多細胞性(multicellularity)と盗葉緑体(kleptoplasty) 〜細胞系列との関わりを思索して〜

PNASの2012年1月31日号では、米国ミネソタ大学のウィリアム・C・ラトクリフらが酵母S.cerevisiaeの多細胞化現象について興味深い知見を発見している。彼等によると、雪片(snow-flake)表現型は培養容器内の沈降時間によって様々なサイズの集合体に発展し、やがては大きくなったこの集合体が分かれて複数の小さな集合体となり、また大きくなっていくらしいのである。

実験的に多細胞化が再現されること自体、太古の昔に縦襟鞭毛虫が集合して海綿の祖先に至るまでの道のり(出所は失念したが、S.rosettaでは多細胞化と思われる集合が観察されている)やユーグレナからボルボっクスという組織的な群体が確率されるまでの歴史を垣間見るようで面白いが、本論文ではアポトーシスが小さな集合体のサイズへの調整に一役買っているとみている。確かに、PIやDHRの蛍光がサイズの大きな集合体では小さな集合体よりも顕著に見られるのである。

アポトーシスについては、その現象の発動に至るシグナル伝達の起源を群体に遡ることができるらしい。BioEssayの2000年22巻で、米国イリノイ大学のネイル・W・ブラックストンの仮説を紹介する。単細胞が集合すると、その集団内には内側と外側が生じる。その一員はいずれも酸素を必要とするが、内側と外側とでは、この酸素濃度が異なる。その結果、外側では活性酸素を解毒でき、これをシグナルとして細胞分化に行きつくが、内側では活性酸素を解毒できず、フリーラジカルが生じて細胞死につながる。

起源の他にも、アポトーシスの本来の役割をほのめかしそうな知見を、紹介したい。Heredityの2001年86巻では、米国アリゾナ大学の理論生物学者リチャード・ミコッドらが、細胞の競争と多細胞化について短い論評を著している。単細胞から多細胞動物への進化には細胞同士の競争と協調が不可欠であり、酸素濃度などを巡る競争から協調へと至るには、個体発生が完了するまでの十分な時間(このあたりはJournal of Experimental Zoology 2000年288巻p.99-104を参照)のみならず、エネルギーの貯蓄、そして、アポトーシスが必要であるという。アポトーシスは多細胞化への細胞増殖に有害な変異を持つ細胞を除去するのに貢献しているとされている。

更に、寄生虫においてもアポトーシスは注目されている。Cell Death and Differentiation
2002年9巻では、英国王立大学の心肺研究所のRA・ナイツらは論説でリーシュマニアの寄生を取り上げ、宿主から栄養を搾取すべきなのに一部の個体で細胞死が行われることを挙げ、原因は宿主から搾取できる栄養の均等な分配なのか、多細胞化への手前の段階の再現なのか、宿主の生体防御の回避手段なのか、といった考察も行っている。

これらの知見から、私は、アポトーシスが生物が新しい段階に移行するための有効な手段になっていると思ってみたいのである。換言すれば、細胞が自殺して細胞集団に空隙が生じることで、新たな細胞系列が展開する余地が発生すると私は考えてみたいのである。というのも、細胞集団である以上、細胞同士での密着があり、細胞骨格の重合・脱重合を基にした個々の細胞の収縮・伸長があり、その挙動は隣接する細胞に伝わっているはずであり、アポトーシスで空隙が生じることはその挙動が伝わりあう緊張した状態から解放された緩い状態のはずで、その緩さが新しい細胞系列を生み出す鍵になっていてほしい、とすら思うのである。その「再現」を、私達は酵母の雪辺表現型の集合やリーシュマニアの寄生で見ているのであろうし、以前ブログでも紹介したset-aside-cellの発明も案外始まりはこの空隙発生による細胞の緩みにあるのかもしれない。

新たな細胞系列の発生が物理的な緊迫の緩和にあるのなら、何も一個体の細胞分化のみにこだわる必要はないのかもしれない。つまり、多細胞化のみならず、細胞内共生すらも同じように考えてみてもいいのかもしれない。PNASの2011年4月19日号では、カナダの聖フランシスザビエル大学のB.K.ホールらが、スポットサラマンダーAmbystoma maculatumに卵巣経由で子孫に伝わる(遺伝とは異なる縦方向の伝搬でlateral transferと表現される)藻類の一種Oophila amblystomatisについて発表している。この藻類は宿主の胚発生より分布が観察され、rDNAの解析でもその実在が立証されている。この共生藻がないと、宿主は発生途中で死ぬことがわかっている。また、僅かだが細胞死を起こす藻類も自家蛍光の退色として観察されている。

藻類の葉緑体の擬似的な細胞内共生についても挙げる。ウミウシの一種Elysia chlorataは、生活環において緑藻の一種Vaucheria litoreaを食べることで葉緑体を体内に取り込む盗葉緑体(kleptoplasty)が知られている。さらに、この葉緑体がないとElysia chlorataはベリジャー幼生以降の発生を進めることができないこと、葉緑体の光合成に必要な遺伝子の一部が既に核遺伝子に移動していること等が知られている。葉緑体の細胞死に関して私はまだ論文を含めた知見を見つけだせていないが、Ambystoma maculatumにしても、Elysia chlorataにしても、アポトーシスを含めた何らかの空隙に細胞分化への細胞系列が入り込めた−それはいわば細胞分化波動の系列である分化樹に見事に組み込まれたとも表現したいのだが−とまではいかないにしても、部分的に入り込みつつある状態にあるように私は思うのだ。その入り込み具合によって、Elysia chlorataの話を続ければ、同じ葉緑体を取り込むウミウシでも、絶食後も光合成だけで長期間生きられるものとそうでないものが分かれるのではないか、とも考えたくなるし、Ambystoma maculatumでも地域や集団や種間によって、何らかの格差はあっても良さそうではないかと思いたくなる。

以上、取りとめもない駄文になったが、これで終わりとする。細胞接着の空間創造への可能性や心の内臓起源説、その他諸々、事実に直感的な空想を上乗せして、自分にしかできないことをやってみたくもあったが、ブログの終了を宣言した以上は、この発生と進化と環境を電子媒体で記述することも止めなくてはいけない。ありがとうございました。
posted by ロスジェネ at 03:36| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 発生と進化と環境そして・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

無性生殖と有性生殖の狭間を散策して

共立出版から刊行されている「せめぎ合う遺伝子(原題:Genes in Conflict)」は、本来の遺伝の法則とは無関係に受け継がれていく利己的な遺伝因子について、極めて詳細な解説に満ちている良書であるが、本書の10章ゲノム排除(genomic exclusion)では、分子細胞生物学の専門書では触れられる機会がなさそうな現象が事細かに記述されている。遺伝子排除という言葉だけでは、ウマカイチュウが卵割期に営む染色質削減を思い浮かべるが、以下のような現象は、ほとんど知られていないのではなかろうか。

1. 雄における父方ゲノム排除(paternal genome loss ; PGL)
雄は二倍体として生まれるが、子孫には母方の染色体のみを伝える現象。父方の染色体が発生初期に失われる種もある。カブリダニ(Amblyseius sp.), トビムシ(Ptenothrix sp.), ミカンコナカイガラムシ(Planococcus citri), キノコバエ(Sciara sp.), コーヒーマメボーラービートル(Hypothenemus hampei), タマバエ(Mayetiola destructor)等の昆虫類に見られ、体が小さいことや局所的配偶競争に関わりがあるとされている。母親から受け継いだ内部共生細菌とも関わりがあるとされている。

2. ヘミクローン繁殖(hemiclonal reproduction)
種間雑種にのみ認められ、無性的な(ヘミクローン性の)雌が世代ごとに近縁の有性種から父方の遺伝子を借りる現象。カダヤシ(Poeciliopsis), ナナフシ(Bacillus), ウォーターフロッグ(Rana)などに見られる。一種の雑種形成だが、生まれる子供が雌の場合が多く、母親から娘へと一倍体ゲノムをそっくり伝え、次の世代には新たに他の半分のゲノムを借用しては捨て去る傾向にあるため、“ヘミクローン繁殖”と呼ばれる。

3. 母方ゲノム排除(maternal genome loss)
生まれる子供世代が父親の染色体のみを伝える現象。父方ゲノム排除に比べ、知られている例は非常に少ない。イトスギ属の木(Cuoressus), 二枚貝(Corbicula), ナナフシ(Bacillus)でしか知られていない。雌雄同体である前二者では頻繁に起こるが、雌雄異体であるナナフシではごくまれに起こる。

上記現象は、性染色体が優位に遺伝するために維持されている、地理的に隔離された環境で手早く子孫を産み増やす利点がある、等、その存在意義は様々な論文で語られているだろうが、これらの動植物に繁殖のためのマーケティングをの思考を凝らすだけの知能があるとは思えず、あるとすれば言語化できない本能だけだろう。本能とは繁殖であり、繁殖は生殖細胞が機能しなければ意味を成さない。この生殖細胞形成における有糸分裂のエラーや分裂装置の変異によって単為生殖を営む種が生まれ、絶対的に雌だけで生き続ける種もあれば、出会った相手と交雑して希少な遺伝子交換を営んで雄性生殖の真の機能である遺伝子の修復にありつき、有害かもしれない遺伝子を得る機会を避けたり劣性の遺伝的変異の蓄積を避ける機会にもなるのかもしれない。

2010年のBMC Evolutionary Biology 10:258に掲載された、ナナフシの一種Clonospisの雑種形成の進化に関する論文を例に挙げる。ミトコンドリアおよびゲノムDNAの比較解析から、三倍体の染色体を持つ生殖細胞の有糸分裂を経て四倍体の染色体を持つ二倍体の雌が単為生殖のC.soumiaeの起源であり、三倍体の染色体をもつ二倍体の雌が単為生殖のC.gallicaの起源であると考えられている。いずれも有糸分裂の後期にanaphasic restitutionが起こり、本来生殖細胞は一倍体のままであるのに、多培体になるのである。一方、父親ゲノム排除がわかっているC.androgenesの場合は、出発は三倍体の染色体を持つ生殖細胞だが、通常の有糸分裂を経て生まれたのが二倍体の染色体をもつ二倍体の雌である単為生殖のC.androgenes-35で、anaphasic restitutionを経た後何らかの原因でX染色体を失ったものが三倍体の染色体をもつ二倍体の雌である単為生殖のC.androgenes-53と考えられている。

2010年のBMC Genetics 11:104に掲載された、実験動物として在り来たりなショウジョウバエの論文も例に挙げる。キネトコアに局在するYem-alphaというUbiquitin/HPC2ファミリーの遺伝子の点変異で有糸分裂のI期が異常を来たし、生殖細胞が形成できないのだが、この変異に加え、有糸分裂で相当組み換えができない変異も持つ生殖細胞では、見掛け上は野生型と同じような染色体の分配が行われるが、単為生殖で子孫を残せる個体が生まれるらしいのである。

単為生殖を生活環の中に持つ動物ではアリマキが有名であり、雌しか存在しない単為生殖の動物ではワムシが有名だが、トカゲの一種ではワムシのような絶対的な単為生殖を営む種でも、実際には有性生殖が可能なものがいる。2011年のPNAS 5月4日号では、Aspidoscelis属で、同属異種の個体(もちろん雄になる)と交雑し、両性の子孫が生まれたのである。確かな有性生殖であることは、染色体の形態観察やマイクロサテライト解析で確認されている。このトカゲは、前記論文以前のNature 2010年3月11日号のLetterで、単為生殖であっても姉妹染色体同志の対合が起こることが明らかとなっている。

以上、有性生殖をしながら実質的には無性生殖といえる例およびその正反対の例を散策してきたが、真性細菌である大腸菌でも遺伝子の受け渡しがあるように、遺伝子のメンテナンスという意味で有性生殖はやはり基本であるように思える。無性生殖は一見進化的な意味があるように思えるが、きっかけは染色体分配の手違いや分裂関連装置の変異を基本にした何らかの手違いで発明され、本当は交雑できるのだ、という生物が現存してきたのではないだろうか。ワムシでは交雑は見つかっていないようだが、期待したいものだ。結びになるが、無性生殖が持つ有性生殖の潜在能力は、系統の異なる生物間の交雑でもたらされる幼生転移の肯定に繋がるものと、私は勝手に思っている。
posted by ロスジェネ at 00:36| 北海道 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 発生と進化と環境そして・・・ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

キプリスY幼生の変態誘導に関する雑感〜人工的に誘導された変態は真の個体発生経路か?〜

キプリスY幼生は約100年前に発見されたが、幼生の形質だけで分類されてきた。分類上は、甲殻類の彫甲亜網に属し、フジツボやカイアシ、フクロムシ等とは異なるものとして分類されている。この幼生は、扁平なヘルメット様の頭部に多数の付属肢を持つ胴体が垂れ下がった外見をしている。1980年代に京都大学の伊藤立則博士がノープリウスY幼生からキプリスY幼生への変態を追跡することに成功した。頭部の形態はノープリウスY幼生ではほとんど違いはなく、胴体が短小で付属肢を頭部のみ持っている点が違いになるだろう。また、2008年には、滋賀県立琵琶湖博物館では、マーク・J・グライガー学芸員らが20-ヒドロキシエクジソン(20-HE)を用いて、人工的にキプリスY幼生から、甲殻類らしい特徴を全て失いナメクジのような形になった次の発生段階を観察し、イプシゴン(ypsigon)と名付けられた。キプリスY幼生は抜け殻となり、体節を持たず未完成な内臓が透けて見えるナメクジのような多細胞動物が水中を泳いでいるらしいのだ。(この一件については日本語の記事が多数あるようだが、BMC Biologyの2008年の原著をお勧めする。無償でダウンロードが可能)

同じ甲殻類でも系統の異なるカイアシでは、色彩豊かなアメフラシみたいな形態から魚の腸のような不可解な形態まで様々だが、生活史で一時期を宿主内の内部寄生で過ごす種が実際にいる。そのことを知っていると、キプリスY幼生がクルマエビやその他のエビ・カニ等の甲殻類のように、変態によって更なる大型化と形態の複雑化を期待するのが常識的だが、その正反対の個体発生を行ったことになる。キプリスY幼生はヒメヤドリエビのタンチュルス幼生と似ており、イプシゴンはフクロムシ類のバーミゴンと似ているから、この二者間で大規模な遺伝子の水平移動があったのではないか、という結論で締めくくってもいいところだが、今回は表題に従い、変態の別の可能性という観点で、イプシゴンを眺めていきたい。

キプリスY幼生は様々な種類が国内外の海洋で発見されている模様で、The Raffles Bulletin Of Zoology誌の2007年55(2)号では新種のキプリスY幼生の報告がある。新種の報告では必ず全身のスケッチが掲載されるが、このキプリスY幼生の模写は実に見事である。というのも、点描で内部の“イプシゴン”を描いているのだ。その“イプシゴンは”一対の眼を持ち、ノープリウスY幼生から持っている眼は“イプシゴン”の領域には入っていない。これに対する考察は本論文からは見当たらないが、甲殻類で知られているようなエクジステロイド誘導による変態だけが個体発生ではないとも思える。つまり、両者は別々の細胞系列で成立しており(さながら表皮と腸の細胞系列が分かれているヒドラのようだ)、模写された時点で独立した個体としての発生経路を歩みつつあるのかもしれない、という考え方だ。

ドナルド・ウィリアムソンの幼生転移仮説でLuidia sarsiの巨大ビピンナリア幼生の体内で原基が育ち、矮小なヒトデの成体が生まれ、それぞれ独立して生きてくことを過去に述べたが、ちょうど同じようなことがキプリスY幼生と“イプシゴン”でも起こり得るとしたらどうだろうか?20-HEの化学的効果は変態の誘導ではなく、“イプシゴン”からイプシゴンを強制排出させただけとも言えるのではないだろうか?私が以前題材にあげた温存された細胞が実在し、成体専門の組織を構築するための未分化細胞であるとすれば、今回の強制誘導はこの未分化細胞が“イプシゴン”であり、これが本来分化する方向からほぼ未分化なままの増殖へと方向転換し、キプリスY幼生の殻の中から圧迫し、終いには口器から滑り出てきたのではないだろうか?カイアシの内部寄生を知っているとイプシゴンもさも寄生するように期待してしまうが、それが唯一絶対とは断言できないはずだ。一見既知の甲殻類の寄生体形に似ているかもしれないが、イプシゴンは“イプシゴン”という内臓のままかもしれない。泳いでいるとのことだが、寄生できる保証はないかもしれない。

幼若ホルモンあるいは相当するステロイドをキプリスY幼生に投与すれば、おそらくキプリスY幼生はそのままの形態で成長を続けると、過去の昆虫等の研究から仮説を立てることはできるが、同時に内部の“イプシゴン”の動態もつぶさに観察してみたいものだ。もしかしたら、幼生側のホルモンと成体側のホルモンの絶妙なバランスが、本来の変態の誘導へと繋がるかもしれない。冒頭述べたようなLuidia sarciのような分離独立もシナリオとして考えたいところだが、系統に関係なく数多く知られている矮小化した雄のようなイプシゴンを考えてもいいのかもしれない。単一あるいは複数のミニ・イプシゴンが程よいホルモンバランスによってキプリスY幼生の内臓に致命的損傷を与えず分離独立していき、これらがキプリスY幼生から吐き出され、その一連の刺激でホルモンバランスが変調を来たし、キプリスY幼生が新たに変態する。その後の形態の予測は難しいが(個人的にはクルマエビやオキアミのような多段階の形態変化を楽しんでみたいものだが)、おそらく雌としての生殖器官が成熟していく方向に進むのではないだろうか。そして、ミニ・イプシゴンはフェロモンか何かを本能的に感知して全身が雄の生殖器官という立場で、受精していくのではないだろうか。この生殖は自家受精でも他家受精でも成り立つだろうが、交接の相手が至近距離にいた方が良いだろうから、おそらく前者が有望になるだろう。

一部の爬虫類で見られるような、基本的に雌しかいないが類縁の近い別種との雑種形成もできるといった裏付けが必要になることだろうが、前例に準じた仮説と実験だけでは生命世界を語りつくすことはできないのではないだろうか。2011年のPNAS誌では不完全変態をする昆虫の一種でmiRNAが変態の誘導に関与していることを示す報告を見かけた。従来のホルモン以外の可能性に興味を持って見るのも、今回の無脊椎動物のみならず脊椎動物も含め、動物の変態を思索する面白さになるのかもしれない。ただし、琵琶湖博物館か共同研究先で、既に宿主が同定され、イプシゴンの寄生も観察されていたら、今回の私の雑感は全て夢物語に終わることになる。
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スピロヘータから波動毛(undulipodia)へ〜共生進化の奇蹟はシロアリの腹の中で〜

私の友人である元廃人が著した「肉樹」の1では、中心体を制御する薬品開発を試みる博士の苦悩が、無理にネタバレに至らぬように描かれている。

 開腹されたままになっていた獣の臓器は、余す所なく毛で満たされていた。男は、足下の一斗缶の蓋を開け、有機溶媒を獣に浴びせた。毛という毛が絡み合い、萎えた。死体はビニール袋に入れられ、仲間の眠る冷凍庫に放り込まれた。解剖に使用した器具は、漂白剤入りの洗面器に放置され、実験室の照明が消された。

 男は、デスクワーク専用の自室に入ると、白衣を投げ捨て、溜息をついた。それから、頭髪を掻きむしり、仕事机の抽斗からノートを取り出し、最後のページを本体から切り離すと、そして、パソコンラックの下段にある金庫を開け、そのページを投げ入れた。円筒状の物体が、倒れて転がった。彼は舌打ちして、それを立て直した。

 男はノートを鞄にしまい、部屋を出ると、非常階段を降りて裏口に出た。一台の車が、ライトを点けて停まっていた。彼は、助手席に座った。

 運転手が、お疲れ様でした、と声をかけた。

「今日も暴れてくれた」



毛で満たされていたという描写の意味は、「肉樹」の3−2で描かれる。博士の教え子で社会の落後者となった主人公の一人が、体内の臓器が先祖返りを起こして中心体+微小管がスピロヘータに変換したネズミの死骸を発見する一幕である。これは薬品の誤った作用によるものであり、博士はリプログラミングという先祖返り=時間の巻き戻しを化学的に起こし、最終的には臓器形成を自律的に誘導する薬品を開発したいのだが、見るも無残な失敗続きということなのである。しかし、友人の文才はあまりにも拙劣であるがために、世間には一切評価されていない。事実、博士はこのネズミを生のまま廃棄してしまっている。これは小説の序盤とは矛盾していて、書き手にあるまじき行為であろう。

「兄貴、これだろう?」

 新参者の青年が、一匹の死体を掲げている。

 俺は、その死体に目を移す。体長はラットと同じくらいだが、贅肉がふんだんについており、大人一人の腕力で持ち上げるのも容易とは思えない。それに、頭と尻が削がれ、手足は使い物にならないくらいに短いため、ラットと断定できない。

 俺は、命を持たざるこいつが何物なのかを、見定められない。

 皆が、視線を俺に注ぐ。

 新参者に死骸を仰向けに寝かせるように言い、ゴミだったメスを使ってこいつの腹を切り開く。脂肪であろう白濁した塊が、溢れ出る。

 永那が、執刀する俺に言う。

「腹の中に、宝は隠れているのかもしれないな」
 
胸から腹までの皮という皮を、膜という膜を裂いていくと、肥大した五臓六腑が丸見えになる。それらの全表面には、無数の細やかな毛が生え、蠢いている。

 ほどなく、死体そのものが、足掻き始める。



さて、本題に入る。2010年2月号のBiological Bullteinでは、生きた化石と呼ばれているオーストラリアシロアリ(Mastotermes darwiniensis)の腸管内に生息するトリコモナス類のMixotricha paradoxaに同じく生息している寄生性のスピロヘータが接触している電子顕微鏡の構造が発表されている。Mixotricha paradoxaの繊毛構造である中心体−キネトソームの構造は以前よりスピロヘータに類似していることが示唆されてきたようだが、今回の観察では、スピロヘータが変形して棒状になり、あたかも波動毛になって連結しているような状態や、抗生物質や酸素など環境圧から身を守る
形態である球状繁殖体(RB:round body)の形態ですら、残った本来の蠕虫の形態で接触しようとしている状態まで掲載されている。実際にスピロヘータとMixotricha paradoxaの細胞膜との背触部分は、吸盤で軽く吸い付くような形態になっているが、密に繋がっている点は疑いようのない顕微鏡像となっている。

スピロヘータには有糸分裂関連因子や細胞骨格上を走行するモーター蛋白質の存在がゲノム解析で示唆されるようだから、原初の世界ではリン・マーギュリスが描くような、スピロヘータ様真性細菌が硫黄を含む球体のある環境でThermoplasma様古細菌と接触し、豊富な炭素関連の栄養源を得て、核の成立となり、ミトコンドリアのない初期の真核生物(karyomastigont=核繊毛型のものである。トリコモナス類などが該当する。西村三郎氏の動物の起源論という和書の最終結論の動物群にもなる。興味のある方にはお勧めである)が成立したという、大雑把だが明快な仮説を裏付ける証拠となりそうである。しかし、スピロヘータ由来と断定できるRNAおよび類似の低分子核酸については、いまだに発見されていないと思われる。細胞の共生進化ではあると推定されているが、こちらについても是非発見を待ちたい。

冒頭で友人の小説を挙げたが、これには細胞内共生という現象の名残で実際に疾患があるのだということを書きたかったからだ。ダニを介してスピロヘータに感染すると起きる疾患で、国立感染症研究所のHPでは、マダニ刺咬後に見られる関節炎、および遊走性皮膚紅斑、良性リンパ球腫、慢性萎縮性肢端皮膚炎、髄膜炎、心筋炎などが、現在ではライム病の一症状であることが明らかとのことである。従来はペニシリンが抗生物質として使われていたが、スピロヘータは祖先形質とされている前記の球状繁殖体となって身を守る。つまり効かないのである。PNASの2009年11月3日号では、この球状繁殖体をテトラサイクリン様の抗生物質Tygacil(一般名tigecycline)を用いることで、破壊できることが報じられている。

球状繁殖体は本来スピロヘータがトリコモナス類に共生することに、ひいてはスピロヘータ様真性細菌がThermoplasma様古細菌に共生することに有用であったのかもしれない。私達は、今回の電子顕微鏡での報告から、その瞬間を垣間見れたのではないだろうか。

だが、もう一歩欲を張って思いを馳せようではないか。三木成夫は「胎児の世界」や「生命形態学序説」で、胎児の発生過程を生命の歴史の面影と表現したが、果たしてスピロヘータのこの振舞いは、共生に成功した原初の時代の面影を反復しているのだろうか。その先−karyomastigont=核繊毛型から無核繊毛型いわゆる一小器官としての波動毛への変遷ならびに中心体の重複ひいては有糸分裂のための中心体の確立―に至るまでの小史すらも、現存のシロアリ腸内共生のトリコモナス類の微細構造から見出せる幸運な日は、やってくるだろうか。

もしやってくるとすれば、「肉樹」で品質不安定に終わった薬品<LifeMaker Centromere siRNA Blocker>が、前記の幸運な日をもたらす手法で用いられる薬品として実用化されることになるかもしれない。中心体に働きかけて、遺伝子の発現を低分子RNAなどを介してリプログラミングと相成るのかもしれない。それも必要とする臓器に応じて。最後はこの薬品についての一部の抜粋で締めくくるとしよう。「肉樹」の5より抜粋する。

 原理についての解説文がある。

 siRNAというサイズの短いRNAは、相補的な塩基配列を持ったmRNAに特異的に結合して遺伝子発現を抑制できることが知られ、線虫を始めとする多数の動植物で発見されている。製品中のRNAは、染色体中のセントロメアから転写されるsiRNAと相補的な配列を持つため、セントロメアによる遺伝子発現の抑制を阻害できる。その結果、本来ならば働かない筈の遺伝子が働き出すようになる。

 永那は、この薬品をミルクと呼ぶ。内容物の液体が乳白色なのだという。それから、生物のバックグラウンドのあるお前なら、宝を探し当てるように何か嗅ぎつけられはしないか、と俺に訊く。

 ミルクがどのように関与するのかについては今一つ思い描けないが、染色体のサイズと数を変える道具ではないか、と答える。

「変わると、どうなる?」

「寄生虫が踊り狂う。失敗すれば、そうなると思う」

「では、成功すると?」

「怪物ができるかもしれない」






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過去が真核生物に伝わることの起源について

ルパート・シュルドレイクが著した“生命のニューサイエンス”および未だに邦訳されていない“The Presence of the Past”では、過去の出来事が重力場となって、生物種に関係なく発生や行動などあらゆる生命活動に影響を及ぼすという考え方(形態的因果作用と彼は命名している)が、数々の例を基に論じられている。その幾つかを下記に示す。

@C.H.ウォディントンの行った実験:野生型のショウジョウバエの卵または蛹をエーテルまたは高温度にさらすと、異常な発生(翅の重複など)をするハエが何匹か出てくる。このハエを繁殖させ、再び同じ環境圧にさらす。それによって生まれた異常なハエを選び出して、同じ操作を繰り返すと、世代を追うごとに異常なハエの割合は増えていくが、多くの世代を経たのちには、環境圧のない正常な環境で育てても、異常なハエが何匹か生まれるようになる。祖先に環境圧をかけていない、正常な環境で育ったハエを用いても、同様のことが起こる。

Aマクドゥーガルの行った実験:ラットを用いて、正しい通路には明かりがなく、間違った通路には明かりがあるが電気ショックもあるという迷路学習の一種を行い、学習が遺伝するかどうか検証した。学習速度の速い個体だけを選ばないように、交尾はアトランダムとし、世代ごとの誤りの回数を測定したところ、15年の歳月をかけて検証した結果、世代を追うごとに誤りの回数は減っていった。ところが、メルボルン大学のW.E.エイガーらが行った追試によると、訓練されたラットの系列では世代を追うごとに同様に成績向上が見られたが、訓練されていない系列でも同じ傾向が見られたのだった。

Bトックリバチ(Paralastor)の巣作り:トックリバチは子供を産み育てるための巣を砂地を掘って作るが、地上側には傘のある首の長い入口を作る。これが途中で完全に折れてしまった場合は、また傘を作り直すが、笠の付け根の一部がはがれた場合、その部分のみを修復するのではなく、同じような傘のある首の長い入り口が作られる。

Cアオガラのミルク瓶開け:アオガラがキャップの包装を破ってミルク瓶を開けてしまう行動が発見されたのは1921年英国でのことだが、その後英国の幾つかの地域で見られるのようになった。アオガラは、例えば15マイル離れた距離を移動することは想像できないため、移動や学習によるものではないと思われる。第二次世界大戦でミルク瓶は一時なくなったが、戦後、この行動は再び見られるようになり、1947年には英国のほぼ全土および北アイルランドで見られるようになった。

その他、諸動物の擬態について例をあげれば、きりがないであろう。アメフラシやウミウシの色彩や鰓の形態の写真集、百花繚乱なる昆虫の写真集(こちらは海野和男の珍虫写真集が絶品だ)が参考になるが、あえて動物名をあげれば、ツノゼミにおける胸部の過度の形態形成、オナガラケットハチドリの尾の羽根、カンザシウミウシや後鰓類最大種らしい外洋性のTethysになろう。詳細は引用元の動物の形態(アドルフ・ポルトマン著、島崎三郎訳)に譲る。

現在の科学/技術ではこの重力場を検出することが不可能だ。現に、重力を形成するといわれる重力子(グラビトン)の有無すら定かではない。しかし、前記のような情報の影響を生物は何所かで感知しているはずである。でなければ、形態や行動といった観察可能な姿で顕現することはないはずである。私は、マニトバ大学のリチャード・ゴードンが提唱している細胞分化波動が、生物情報の単位としてその影響を受けているのではないか、と感じている。

細胞接着等を介して細胞膜の振動を感知した細胞は、外枠を支える細胞骨格の挙動を経て、シグナル伝達によって核内のゲノムにまで影響を及ぼし、遺伝子発現のオン・オフに影響を及ぼす。最終的に、その細胞はその形の収縮・伸長を来す。細胞膜から核に至るまでの間には、シグナル伝達だけではなく、細胞骨格やモーター蛋白質を介した連結が存在し、リチャード・ゴードンの著書にはあいにく見当たらないが、このような“物理的なクロストーク”は細胞分化波動をダイレクトに振動として触れることが可能ではないだろうか。実際、核膜の膜貫通タンパク質KASHおよびSUNは、核膜内側ではヘテロクロマチンと結合し、外側ではキネシンやダイニンなどモーター蛋白質、アクチンや微小管など細胞骨格、セントロソームと結合していることがわかっている。

2010年のBiology Direct誌に掲載されたオクスフォード大学のトマス・カバリエ=スミスの核膜・有糸分裂・性の成立に関する豊穣の総説では、最初期の真核生物の共通祖先(センアンセスターという)は鞭毛を有し、体を支える微小管が細胞膜に沿って分布し、細胞内共生で得たミトコンドリアの他、ペルオキシソーム、ファゴソーム、ゴルジ体、リソソームなど膜系の小器官、中心体を持ち合わせていたという。ここまでの道のりには、ファゴサイトーシスや遺伝子重複が不可欠だったらしい。詳細な実証は膨大な知見が引用されるためここでは避けるが、共通祖先の模式図には、アクチンを通じて細胞膜と核膜が繋がっているのである。つまり、分子生物学的な知見から、ここまで描写が可能と理解してもいいものと思われる。

最初期の真核生物は、ユーグレノゾアとエクスカベータの間と、カバリエ=スミスの前記文献の当模式図では記載されている。ミドリムシのその仲間が相当する群だが、動物界以外の世界では、この世界の他、放散虫や有孔虫などが属するリザリア、渦鞭毛植物などが属するアルベオラータなどがあり実に多様だ。これらの生物の電子顕微鏡写真を拝見すると、武具や彫刻のような外見を備えているものが多く、人工物と見紛うくらいに多様な形態をしている。

構成物質は電子の振舞いによって繰り返し構造ができた結果にすぎないかもしれないが、これらの生物は既にアクチンを通じて細胞膜と核膜が繋がっているはずだから、他生物の生涯が蓄積された重力場の影響を受けた振動を身に受けて、細胞膜の収縮または伸長という挙動で、細胞分化波動を細胞内に展開させ、また体外へ発しているのかもしれない。前段落の多様化もこのことが関わっているかもしれない。

前記ユーグレノゾアやエクスカベータは電子顕微鏡写真だけでも十分に魅力的だが、前記の一件を調べる上で格好と思われる生物がいる。プラシノ藻のミクロモナス(Micromonas)はゲノムサイズがわずか12Mbで体長も0.6um未満でありながら、運動器官である鞭毛装置を有しており、その他細胞小器官もきちんと備えている。このような単純でありながら真核生物としての器官を備えた生物に対して、冒頭のような形態的因果作用を推察できるような実験系−核の挙動を電子配置の変化に置き換えて可視化できる手法が理想的かもしれない−を組むことが、過去を現存の生命に伝達する力学の原初を知る決め手になるのかもしれない。
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皮膚接触(dermatophagy)が語るかもしれないイモリ玉(newt balls)の存在理由

10年以上前、著名な国内専門誌「細胞工学」では「発生生物学物語〜古きを訪ね、新しきを考える〜」という、ついに書物にならなかった発生と進化の学問をつなぐ連載があったが、その1999年9月号に掲載された岡田節人のエッセイの後半部分に、イモリのレンズ再生について面白い知見が述べられている。当時熊本大学学長であった江口吾郎の研究で、彼が1960年代の終わりに、イモリのレンズが寄吸虫類に属する生虫によって喰われ、喰われたレンズがやがて再生するという発見をしていたのだという。再生能力の獲得は寄生虫との長い関係を通じて育まれたのではないか、ということだが、こういった体内の現象が外部環境に起因して備わる、すなわち獲得形質ともいえる発見は、発生学教科書の大家S.F.ギルバートが発生と環境との関係を紹介したEcological Developmental Biologyに詳しいが、一見不可解かつ意味不明な動物行動、とりわけ本能と思われる行動にも当てはまるかもしれない。これから述べることは、残念ながら、かのギルバートの著書には触れられていない。

私が思い出した文献は、Natureの2006年4月13日号に掲載された、アシナシイモリ科のブーランジェーアシナシイモリ属のBoulengerula taitanusについてである。このイモリはケニアに生息し、直接発生なので親のミニチュアとして卵から生まれるのだが、新生児は母親の皮膚を摂取して育っていくのである。先端の潰れた針のような歯を疎らに備え、とりわけ脂質に富んだ母親の皮膚をこそぎ取るようにして貪っていくのだろう。母親の皮膚も爪角質層初め表皮が分厚くなっており、栄養豊富な皮膚を与えて子育てを行っている格好になる。この“子育て”は脂質が関わることから哺乳類における授乳にも見てとれ、卵黄主体の卵性から胎生への移行の中間段階と考えることができよう。

本論文の補足資料には、胎生とイモリ胎児の歯に相関性が見られるかどうか系統で示した図があり、いずれの条件も満たす科は一個所には集中しておらず、歯の発達が胎生よりも先に起こったと推測される。完全な胎生のアシナシイモリでは卵管内壁を胎児が食べる仕組みがあるとのことだから、今回の皮膚摂取はその前適応であろう。

卵性と胎生の間といえば、カモノハシ等の単孔類を即座に想起できる。乳房はなく、母乳は皮膚から染み出るような形で分泌される。それを思えば、皮膚接触は授乳と考えることもできる。

単孔類および哺乳類の胎盤獲得にはレトロトランスポゾンに由来する転移活性を失った遺伝子Peg11/Rtl1が重要な役割を果たしていることをメディカルバイオの2008年3月号で目にしてから、転移因子は殻を失ったウイルスと考えて、この皮膚接触も原因不明なかの現象の説明になるのではないか、と考えるようになった。

その現象とは、アクビチンと胚誘導の研究で名を馳せた浅島誠でさえ原因不明というイモリ玉である。彼は東京大学教授時代の最終講義の前半で、イモリ玉に触れている。イモリは厳冬の川の中にいる時はイモリ玉(約500〜1500匹の集合体)を作って動き回っているのだそうだ。おしくら饅頭のようにイモリが集まって、玉のように見えるのである。

もしこの行動に生存への有利性がないのだとしたら、進化の中間段階にある皮膚接触の行動に関わる遺伝情報がウイルスによって水平移動したということはあるかもしれない。ミミウイルスのような、脂質二重膜を持ち遺伝子の本体は二本鎖DNAという細胞に最も近いとされるこのウイルスには多種類の遺伝子の水平移動の証拠が幾多の文献で挙げられている様子だから、本能行動のような複数の遺伝子が関与しているだろう現象にはうってつけのウイルスではないだろうか。また、海洋の細菌間の遺伝子移動で注目を集めるGTA(gene transfer agent)もバクテリオファージの祖先型らしいので良さそうだが、こちらは淡水系での報告はなさそうだ。やはり前者が注目株であろうか。

アシナシイモリ科の皮膚接触は、母親に絡み合うようにして営まれているので、外見こそ大きく異なっても、目的を失った本能行動としてのイモリ玉はあり得るのかもしれない。性ホルモンとイモリ玉の規模や頻度の相関性がわかれば、もっと欲張れば、Peg11/Rtl1のような胎盤形成関連遺伝子に相当する遺伝子発現(胎盤を持つ魚類でIGF-2の強い正の選択が起こっているという論文がPNASの2007年5月29日号に掲載されていたから、IGF-2とそのレセプターは候補になるだろう)との相関性が明らかになれば、かつての中原英臣らのウイルス進化論のように、キリンの首がウイルス病で伸びたことを証明するような水平移動の論破まではいかないにしても、「過去の本能行動なる皮膚接触の残渣としてイモリ玉は営まれる」という試論は生まれてもよさそうである。

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