松田隆一は、鹿児島県で生まれ、太平洋戦争に従軍し、その後は九州大学に進学し、昆虫学を修め、渡米し、昆虫の腹部や胸部の形態を精細に観察し、最後はカナダの農業大学の教授として教鞭を振い、日本国内のポストに就くことはなく、68歳の時に肺癌で世を去った。彼に師事したMary Jane West-Eberhardtは、彼のことを、煙草を咥え、よれよれした服を着て、話下手な印象があるが、その外見では予測しえないような、卓越した洞察力を持っていたとのことである。英語が堪能ではなく、米国の大学院修了の際にも、単位取得のために別の外国語での単位取得の根回しをしたらしい。そんな日本人でも、才能は潰されることはなく、1980年代になると、動物の形態が多様化するメカニズムについて考察し、カナダ国内の雑誌に発表し、教え子達もそれに続いて学ぶようになったが、彼の前述の進化論に関する書物は、彼の死後の翌年1987年に出版となった。彼の構築した理論に動物界で知られている実例を網羅した、”Animal Evolution in Changing Environment with Special Reference to Abnormal Metamorphosis”である。
本覚書では、この書物と周辺の文献等から得られた知見について、抜粋し、松田隆一という、おそらく日本国内の大学院の進化関連の講義では産学連携に価値を及ぼさないから、と名前の挙げられることすらない、頭脳流出の典型ともいえるこの異才の世界を覚書として書き残したい。
2. 松田隆一の世界:動物の変態から明かされる進化のメカニズム
松田は昆虫を研究対象としていたため、変態現象には頻繁にお目にかかっていただろう。蝶であればグロテスクな芋虫から蛹を経て色鮮やかな蝶に変身するし、カマキリであればダイナミックではないにしても若虫が脱皮ごとに大きくなり、成体の大きさにまで達する。この巨視的な変身の現象は、ホルモンの振舞いで誘導される。昆虫の種類や系統は違っても、基本的には、前胸腺から分泌されるエクジステロイドが幼虫から蛹あるいは成虫への変態を促し、アラタ体から分泌される幼若ホルモンが幼虫の世代の延長を促す。脊椎動物の両生類で言い換えれば、甲状腺から分泌されるチロキシンがカエルのような成体への変態を促し、脳下垂体から分泌されるプロラクチンがオタマジャクシ等幼生の状態維持に働く。
要するに、ホルモン注射等の人為的な方法もしくは、低温・高度・塩濃度・日長・個体群密度・栄養などの環境条件によって、動物の成長・変態を加速・遅滞させることができるということである。実際に、巨大な幼生(giant larva)や矮小化した成体(dwarf adult)が動物門に関係なく、多くの事例で知られている。実例を挙げれば切りがないが、最も馴染みやすいのはネオテニーであろう。幼形成熟という和名で知られ、高地の池に住むアホロートルが、低温・高所という環境のために十分に体が成長しても生殖能力が発達しないmetathetelyやアリマキのように翅が十分に発達しないまま生殖能力が成熟して小型の成虫に達するprotheletlyに大別される。また、体細胞や生殖細胞の成長に時間差が生じるような前述の現象のみならず、ツチハンミョウにおける、成長段階に応じた形態の大規模な変化(過変態と呼ばれている)や蜂や蟻に見られる女王・兵士・労働者などの役割分担で知られるカースト形成もこのホルモンの感受性の変化やホルモン分泌のタイミングがずれることによって成立している。特に後者では、過剰な幼若ホルモンの投与で頭の巨大化した兵士階級を作成できることが知られている。おそらく、幼若ホルモンとエクジステロイドの量をうまく調節することで、中間の形質を持つ、自然界にはない個体も人工的に生み出すこともできるだろう。寄生生活を営むカイアシの一種などは、肢や外殻を持たない柔らかで紐や木耳のような外見をしているものが多いが、寄生性の動物に見られる、異常な単純化された形態についても、例外ではないとされている。沿岸や岩の裂け目など狭隘な環境に住む種についても、それ相応の生活に適応すべく、同様のメカニズムで形態が特殊化されていると考えられている。このような環境でニッチを獲得できた動物門としては、顎口動物門、胴甲動物門があげられる。
ここまでは生物関係の専門書などに記述されているだろうが、松田隆一が特に注目しているのは、孵化前の卵に見出される変容である。前述したような環境条件の変化が幼生の頃ではなく卵を産む親世代に刺激となって影響を与えるとなると、卵黄の増減に関わるビテロジェニンというホルモンの分泌が増え、このホルモンは卵黄の増加を促すので、最終的に産出される卵が大きくなる。卵黄は栄養であるので、卵の中の胎児はより成長できることとなり、孵化する頃には幼生の時期を終了した稚体か、餌を必要としない幼生になっている。幼生が餌を捕食するのは成長するためであるから、目的が孵化前に果たされれば、餌を採る必要はなくなってしまう。ミニチュアの成体になってしまう直接発生(direct development)もその一つと考えられている。プエルトリコの象徴であるコキガエルは、オタマジャクシの時期が全くないままミニチュアのカエルとして生まれ、その卵は通常のカエルの卵に比べて何倍も大きい。このように、本来孵化後に過ごす過程を孵化前に終えてしまう現象を、松田隆一は胚化(embryonization)と称している。胚化を起こすための刺激は、基本的には変態の促進・遅滞と同じ要因が挙げられる。
@ 水や海水での塩濃度の低下
A 海岸の岩場等の狭隘な場所で生きることで受ける塩濃度の低下
B 深海
C 極地
D 季節に依存した気候の変化
E 陸上生活
F 穴や管といった棲家
G 親の保護
H 蟻等の他の動物との共同生活
I 洞窟での生活
である。どれも気温・気圧・日長・密度など物理的な環境が刺激になり得る生息地であり、こうした環境が刺激となってもたらすホルモン自体の感受性の変化やホルモン分泌のタイミングのずれが遺伝的な変異となって固定化され、動物種が多様化していったのではないか、特に、生息地の地理的な違いで種が隔離され分化していく異所的種分化ではなく、必要な食物の違い等で生息地が同じでも種が分かれていく同所的種分化がを引き起こす主因になったのではないか、という考え方に松田は到達したのだった。卵胎生や胎生という産み方についても、この胚化の極致ではないかと考えていいのかもしれない。これにはビテロジェニン合成をはじめとした内分泌系の異常が起こるのだろうと松田は考えている。例えば、鳥類では哺乳類のように胎生を行う種が存在しないが、この異常が鳥類では起こることがなかったことが原因なのかもしれない。
3.松田の仮説を裏付ける幾らかの発見
この「環境の変化が進化の引き金となる」という考え方は、ショウジョウバエの翅の変異を人工的に誘導する試みで、1960年代に専門用語が作られている。ショウジョウバエの卵にエーテルの蒸気を作用させると、幾つかの卵では四枚翅の成虫が得られ、それらを交配させ、卵にエーテルの蒸気を作用させ・・・といった操作を四枚翅から生まれた子孫を対象に何世代も続けていくうちに、エーテルの助けなくしてその変異型の系統が得られるようになる、というものである。熱ショックタンパク質が分子メカニズムの中枢を担っていると考えられており、人工的な選択であるから自然選択のそれとは同一視するのは危険だが、環境からの刺激が遺伝的に固定された実例として知られており、実験を行ったWaddingtonはこの現象を遺伝的同化(genetic assimilation)と名付けた。松田の著書にも、この用語が胚化が遺伝されるに到ったメカニズムとして使用されている。
また、体細胞の変異は遺伝しないことをネズミの尻尾切りで実証したWeismannですらも、ウラゴマダラシジミLycaeneid butterflyにおいて、高温では明るい体色に、低温では暗い体色になることを知り、松田より遥か以前に、体細胞で生じた変異が遺伝的に固定できることを認めているのである。
もう一人挙げるなら、Goldschmidtであろう。彼は魚類でモドン属Periophthalmusに属するmangrove mudkipperがチロキシン処理によって小さな顎や胸鰭、乾いた皮膚を持つ個体になることを見出し、彼もまた松田の到達した思想を彼よりも前に見出すことになったのである。
最後に、進化の総合説を唱えたMayrのことも触れる。彼は、遺伝的同化という考え方を知り、「このメカニズムによって少しずつ変異は蓄積し、一定の量に達すると形質が変わり、その情報が固定され、新しい種の誕生となったのだろう」といった見解を示している。
4.各論
ここからは数多くの動物門で松田の考え方を支持する実例について、物語性なしに網羅していく。ただし、情報量によっては組み立てにくい箇所もあるため、素人裸足の抜粋という形式になる点だけはご了承願いたい。実際の著書においても、動物門によって情報量の格差は甚だしく、彼の専門分野である昆虫での情報量が全体の半分以上を占めている。ただし、それだけ知見が豊富であるということは、それだけ仮定している事象が確からしいということにもなる。そのため、松田の仕事は足腰が強い確固たる基盤のある仮説だと考えて良いだろう。ただし、それには危うさも含む。事例を拾い上げるうちに、例外が数多くなるということである。そのため、アクセスされた読者は矛盾と思しき混沌に幾度となく襲われることもあると思うが、これについてもご了承願いたい。





