「あの手術は久し振りだったから、正直言って不安だった」
「貴方らしくないわね」
「成功を常に確信できるレベルには、達していないからね」
サクジは、煙を吸い、吐いた。
「でもね、大仕事を請け負えて、とても充実しているんだ」
ウルナも、吸っていた煙を吐き出した。
「あの子、よくできる子供さんだったらしいよ。異国の文字も難無く読みこなせたんだって。カルテによればね」
「あいつは大成功さ。この調子が常に出せれば……」
電話の音が、小屋で鳴り出した。サクジは、部屋に戻って受話器を取った。
彼は、用件を聞いて受話器を置くと、目を引きつらせたまま、しばらくの間動かなかった。木陰に戻った彼は、ウルナをきつく抱きしめ、言った。
「君の父親から連絡が入ってね」
「そうだったの」
サクジは、ウルナから目を反らした。
「君の弟が、ここに来るんだ。今夜、棺桶に入れられて」
ウルナは青褪め、気持ちが落ち着くまで泣いた。
小屋へと戻った二人は、一度焼きあがっていた夕食のアップルパイをレンジに入れると、梯子の蓋を開け、歌の稽古に励んでいる動物達に、アップルパイがあるからお腹が空いても少しの間だけ辛抱するように、と言った。土竜が、飛び跳ねてせがんだ。その後ろで小犬が、お歌の稽古が楽しいの、と手を振った。その傍らで、海豚が微笑んだ。
「おおきなしまで、みんながなかよくくらす、おうたのけいこをしているの」
「良かったわね。うまく歌えるようになった?」
「まだなの。いるかさんに、おとがはずれていないかどうか、みてもらっているの」
「こいぬさんは、おうたがちょっとにがてなもので」
「そういう海豚さんも……」
海豚が照れくさそうに俯いて、尻を振った。
「どりょくはみのるって、ママはいいましたよ」
「海豚さん、一生懸命練習していたもんね」
レンジの温め終わった合図が鳴った。ウルナは厨房へと戻り、ほかほかのアップルパイを籠に移し、森に降りた。
それからまもなく、棺桶が到着した。背広姿の二人組の手によって、棺桶の中から大柄の男が担ぎ出された。その男は、寝台の上に横たえられた。
「社長のご子息ですから、失敗は許されません。我々も、今晩は寝ずに手伝いますので」
サクジは、二人の背広に、今も尚思い通りに結果を得られる水準に満たないことを心に留めておいてほしい、と念を押した。そして、机の脇のボタンを押した。寝台の中心部が降下し、横たわった遺体が蓋のない棺桶にすっぽりと収まった。
「そこの象を、持って来て下さい」
片方の背広が、象の縫いぐるみを寝台の前の椅子に座らせた。
サクジは、ウルナの父親が自ら発明したという保存液を、直方体の窪みへと注ぎ、固唾を飲んで遺体を見守った。個体として死を迎えた脳細胞が、生前に味わうことのなかった微量元素や補酵素の恵みを受けて、活力を取り戻す瞬間を逃してはならなかった。その時、遺体は桃色に変色し、紫色へと遷り変わるのだが、その刹那を見極めて、頭蓋骨を切り外す必要があった。その作業が済めば、蘇生した脳を象の頭の中に移し、電流発生装置を作動させ、電圧を微調整しながら半日安静にすれば、手術は完了だった。
遺体の胸の筋肉が、微動した。サクジは、二人に待機するように言った。頬が膨らみ、鼻孔から気泡が浮き上がった。遺体は、桃色に限りなく近かった。サクジは息を止めて、あらかじめ電熱を流していたワイヤーを、保存液の中に沈め、食い込ませた。頭蓋骨の上半分が、切り外された。
遺体の顔色が、黒みがかった紫へと変わり始めた。
サクジは舌打ちした。
遺体の両腕が突き出され、空気を掻くと、二人の背広を引っ掻こうとした。彼等は、護身用の光線銃を懐から抜き、手応えもなく撃ち尽くすと、寝台から身を解放させた遺体の顔に銃を投げつけた。それは遺体の両肩で爆ぜ、火傷を負わせたが、呻くこともなく、汗まみれの彼等に両腕を振り上げた。彼等は防ぎきれず、腹部を破裂させ、湯気を立てた臓物が傷口を塞ぎ、痙攣して動かなくなった。遺体は、自らの頬を裂き、男の足関節にワイヤーを巻きつけていたサクジにがぶりつき、何度も噛み直し、その首をへし折ると、棚に投げ飛ばした。彼は、アップルパイを届け終えて森の入口を閉めたウルナと衝突した。
その弾みで、棚に陳列されていた樽が転がり落ち、家財道具が倒れた。頭を強く打って即死した彼女は、それらの下敷きになった。遺体は、サクジを引っこ抜き、オーブンに押し込んだ。
朝の光が、部屋に差し込まれた。遺体は、丸太小屋を出ると、両腕を水平に伸ばし、木の群に襲いかかった。木々の多くはへし折られ、朽木の仲間入りを強いられた。遺体は、砂利の敷かれた坂道を下っていった。
動物達は上の階の喧騒に動揺し、何度も呼び鈴を鳴らしたが、親達は来なかった。彼等は、アップルパイに手をつけていなかった。
次の日の晩、猪の長老が、胸の痛みを訴えて倒れた。小熊は、長老を藁の上に寝かせた。皆も集まった。
「こぐまさんよ、らいおんさんがかわのむこうにたびだったのは、いつだったかな?」
「ふたつきまえです」
「かれは、じゅういちのつきまでいきた」
「ながいきでした」
「でも、わしはまだはちのつきだ。なのに、たつちからが……」
「そんなのだめだよお!」
土竜が、猪の手を握って叫んだ。
「いけない、ちょうろうさんのしんぞうにわるい」
海豚が、土竜の手を長老から離した。土竜は、滴る自分の涙を拭いた。その隣で鼻水を垂らしていた麒麟は、泣き崩れて顔を上げられなくなった。
「いるかさん、きいておくれ」
儂は知っておる。外にこそ、本当の世界があることを。
声は、発してはいなかった。しかし、海豚はその唇の微妙な動きを読み取り、唇の動きだけで答えた。
外のことは覚えていないし、知りません。
長老の唇が、再び動いた。
パパは、この森の中で独り言に耽っていたことが、一度だけあった。彼はこう言っていた。我等が生きるには外は腐敗しすぎているし、我等の天寿が人並みでなければ話にならない、と。そして、こうも言っていた。そのためには良き協力者と出会うべきなのだが、何処にいるのか手掛りを掴む手段すら持てない。何故なら、この工房での労働を義務付けられている身なのだから、と。
良き協力者とは、誰なのですか?
それはまだ、と長老が言いかけたが、声を詰まらせ、息絶えた。動物達は、猪に寄り集まって涙を流し、草花をその手に握らせ、両腕を組ませた。皆の涙が涸れると、猪は川に流された。彼は、穴の中へと吸い込まれていった。
「ちょうろうさん、どうなるの?」
小犬がきょとんとして、兎に訊いた。
「あたしたちのしらないせかいに、たびだったのよ」
「もうあえないの?」
「そうよ」
小犬は、長老のアップルパイを川に流し、手を振って見送った。
「しらないせかいでも、おなかがすかないようにするの」
海豚はそれを見て、長老さんなら食べてくれるね、と言うと、川に背を向け、堪えていた涙を放出し、次の次だろうか、僕の番は、と自身ですら聴き取れない声で言った。




見切り品あさりの私が
今は毎晩アサヒスーパードライで乾杯♪
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