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2009年05月02日

水神槍3−1

 何時の間にか、私は服を脱がされ、小屋の湯船に浸かっていた。信じられねえ、冬眠じゃあるまいしなあ。それにしても、よく生きていたよ。正しい道じゃなかったら、永遠に冬眠だったぜ。登山用の防寒具を着込んだ男が、呆れ顔で私を見つめ、二十年の冬眠を、と言う私を笑殺した。馬鹿を言え。日付を訊き、半年近くの開きを知った。三日前に入山した、と私は嘘を言った。

 湯船から引き上げられると、藁の上に座らされ、飯を頂いた。その最中に、私は中腹の池について尋ねた。

「お前さんを見つけてしまったおかげで、そこまで行ってねえ」

 翌日、男に背負われて、雪渓を登った。病院で精密検査を受けるように再三勧められたが、私は池を確認してからだと言い張り、無理を押して叶えた。途中で、埋まった陥没を横切った。お前さんの塒だったのさ。昨晩の雪でもう跡形もないがな。

 中腹に着いた。池は凍っていたが、男に踏みつけてもらうと、割れて水が染み出してきた。変わった物なんかいねえよ、夢と現実がごちゃ混ぜになっているのだろうよ、おめでたいな、という男の文句を聞き流して覗いた。

 手前の池では、球体が、折り重なったゼリー状の管の中で詰まっていた。泳ぐ物はいなかった。しかし、管に囲まれて沈んでいる個体はいた。私は、その一匹を拾い上げた。両手でやっと収まる大きさだった。あらゆる角度から見たが、個体の内臓と私の手相が透けて見える以外には、何の変哲もなかった。手の温もりがそうしたのかどうかはわからないが、死体と思われたオタマジャクシは息を吹き返し、池に戻すと動きが鈍り、沈んだ。他の二つの池でも同じだった。化石もなければ、変わり種もいなかった。こんなオタマよりもお前自身を心配しろ、まずは医者に診てもらえ。しかし、私は断った。男は最寄りの病院の住所と電話番号を私に教え、下山した。

 池は真水だった。

 また、ガマガエルの石像とその奥を手探りしてみたが、箱も蓋もなかった。

 通り過ぎた道程に倣うつもりはなかったが、池の彼等に行く末があるとしたら、見届けない手はなかった。小屋にあったタッパーにオタマジャクシ達を入れ、橋の跡に横たわっていた倒木を渡って下山し、廃線となった線路を辿り、特急で眠りを貪った。

 そして、お前に再会した。

 街は寂れていたが、お前は腑抜けてはいなかった。分子生物学のテクノロジーに辟易し、組織形態の観察に重きを置く古典的な生物学の切り口にこそ生命の真髄を理解する本流があるとしていたお前は、健在だった。オタマジャクシとネオテニーに関する私の話に聞き入ってはくれたが、あくまで理論であることを踏まえた上で自分なりの見解を述べてくれた。その点は、観察会の構想を練っていたお前と共通していて嬉しかった。そればかりか、実際のお前は、念願の理科教師の職務に従事しており、近所に無人のお堂があるからそこを拠点に何か創造的な活動に挑んでみたらどうか、と人生の指針まで与えてくれた。

 季節の遷り変わりが、冬眠中に夢を彷徨していた頃より遥かに速く感じられた。

 境内の土を掘って水を張り、タッパーから放すと、子供等ははしゃぎ回った。一方で、町の高校の図書室で文献を漁り、持ち得る知識を総動員し、鮮明な夢の記憶も踏まえ、山から連れてきたオタマジャクシの存在意義について思索し、「両生類の無尾類の幼生は、脊椎動物の進化の歴史を形状記憶する能力を持つ」という仮説を論じた小説風の書物を著せた。

 その間、有職者になれた。お前の働きかけで実習助手として勤務できた高校で、彼等を解剖の授業に使いたいというお前からの依頼に応じた。量的に不足はなかった。しかし、手先の不器用な生徒達にはきつかったことと思う。解剖台の木目が透けて見えてしまい、四肢も捉えにくいため、ピンやメスで危うく自身を傷つけそうになるハプニングが少なくなかった。胸腺や甲状腺等の臓器の局在については、点在する微小な色素を目印にして探すというコツを指摘するまで、透明人間と付き合っているみたいで気色悪いだけじゃないか、と大部分の生徒は愚痴を零していた。お前が生体に無害な色素を磔にされた実験体に添加し、従来の幼生と大差のないことを確認し、お前の教え子達もそれに倣ってから、実習は急ピッチで進んだ。お前の職人技のおかげで、誰もが考察と想いをレポート用紙に埋め尽くしてくれた。

 それからというもの、高校の生徒を介して口コミで広まったのだろう。私しかいなかった境内に、地元の高校生のみならず、他校の学生や児童までも来るようになった。日が沈んで見えづらくなるまで、誰もが観賞していた。

 力作を発表した次の年に、子供達が、でっかくなった、でっかくなった、と一匹を指して騒いだ。見てよ。近所の小学生が飛び跳ねて言うので見ると、それは成熟した鯉と変わらない大きさだった。子供が掴みかかろうとしたので、その手を制した。私は、その幼生の視線を受け止めた。目頭がいきなり熱くなり、腫れ物に覆われたように思えた。気分を害するものではなかったが、安全策として目を逸らした。止まない子供の大声で我に帰り、再び見ると、そいつが水面から飛び跳ねていた。滝登りの勢いだった。子供達の拍手喝采が湧き、一緒に遊ぼうよ、と幼児達が呼びかけた。

 私は面食らった。そして、名山を臨終の地と決めてからこの先までの二十年こそがあいつの思惑通りの稽古場なのではないか、と考えてみたものの、確信までは持たず、まさかな、とこの時は軽く受け流す程度だった。

 まもなくこの一件は忘れてしまい、助手としての職務をこなし、生物好きの生徒がそのエネルギーを如何なく燃焼できる進路の相談と開発に邁進した。その年月で、理論武装から科学実験へと移行した。節穴であるにも係わらず、オタマジャクシ同士に見られる交尾行動に興味を持ち、その解析に没頭した。まず、彼等の人間じみた性交は儀式でしかないことをつきとめられた。麻酔効果のある溶液に浸けて眠らせた雌の子宮には、精液が含まれていなかったのだ。従って生まれてくる個体は全てクローンと考えられた。生殖行動が刺激となって、未受精卵が単為発生を開始するのだろう。

 更に面白いことに、その翌年の生物クラブの創設後、彼等が小規模の集団を作るのを見つけ、それがたった一種類しか持たないことを、高校間のクラブ交流会で発表した。頭の容積の最も大きな個体が必ず真ん中になり、それより小さな個体は中央に寄り添うようにして泳ぐのだ。私は、もしやこれこそが真の変態であり、最終形態としての成体ではなかろうか、と思った。理詰めで説明できる段階ではなかったが、直感でそう思えたのだ。

 私は学校から教育用機材のビデオカメラを借り、彼等の二十四時間を録画した。そして、何度も再生して逐一変わった点がないか精査した。彼等には規則性があった。夜になると群がり、朝になるとばらばらに戻っていた。それも、月の満ち欠けに準じていた。満月に最大規模の集団となり、新月にはどれもが単独で泳ぎ回っていた。一方、交尾行動は月や天候に関係なく、春にのみ認められた。

 その後、単独から三匹で飼育された個体が成熟した鯉くらいの大きさにまで例外なく成長すること、および、四匹以上の個体数では一匹だけが必ずそのサイズにまで育つことが認められた。しかし、この先どう切り込めば良いのか、私にはわからなかった。

 行き詰る私に、一つ試してみたいことがある、とお前は言った。月の満ち欠けに従った集合と離散でライフサイクルが完結するとは思えない。集まりにおいて、中心部の巨体が頭脳と内臓を担い、同伴の他個体は中心部のための感覚・運動器官になろうとしているように思える。お前は、満月の夜に七匹の小集団を水槽に隔離し、麻酔効果のある溶液を使って大人しくさせてから、大個体を掴み取り、一匹の小個体を磨り潰すようにそれに押し付けた。小さい方の腹部が埋まった。

 私は小指を大個体の背に当ててみた。指先が入った。

「実は半信半疑だったんだけど」

 お前は、別の小個体の腹を、大個体の背に押し付けて言った。

「たまげたよ」






posted by ロスジェネ at 06:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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