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2008年07月06日

真夏と共に我がブログもまた萎える・・・

本ブログの寿命はもうじき尽きるのではないか、と今更ながら
思い始めている。そもそも、盛り上がりに欠けるし、独自路線
とやらも、今ひとつ見えてこない。これでは読者の関心の外に
出てしまうのも無理からぬことだと思っている。

さて、真夏である。凄まじくじとじとして、そしてぐったりと
熟睡することを許さない、あの夏がやってきた。北極点も
南極大陸も風前の灯となってきた今日、如何に考えようと、
私達は酷暑に耐えるしかない。こうしてブログを叩く今も、
USBケーブルのプロペラで、私はむしむしとした空気を
凌いでいる。

それでも、マンション販売、それも投資用だとか税金対策とか
意味不明な詐欺を個人事業主の意味合いでやっている馬鹿共は、
懲りずに電話をかけてくる。何度も断って、それも侮辱の
言葉を浴びせているのにかけてくる。人騙しに懲りない悪党共
には、この暑さがわからないのであろうか?たまには
熱射病になってみるといいだろう。

ふざけきった温暖化はますます調子に乗り、ジュース
カロリーオフドリンクの販売は伸びていき、エアコンは劇的に
売れ、しかし消費の伸び悩みで、ダイナミックなこと、すなわち
旅行や高額商品の購入には、財布の紐が固く固くなる。

政府よ、もう道路は作らないでくれ。作っても、アスファルト
熱気でもう干からびてしまうよ、僕らロスジェネは・・・
posted by ロスジェネ at 19:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大統領を引き摺り下ろしたくなるお国柄

苦心の末の決断であろうに・・・それでも感情的な
韓国の国民気質は、大統領に辞任を要求してしまうらしい。
BSEという恐怖、クールーに冒されたくないという思いは
誰もが同じだが、自らの投票で選んだ大統領がこうも早く
辞任要求というのも、何かしら、上にあるものを引き摺り下ろして
叩き潰したくなる、国民性か何かがあるのかな、と
思ったりする。

posted by ロスジェネ at 11:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

肉樹1

 開腹されたままになっていた獣の臓器は、余す所なく毛で満たされていた。男は、足下の一斗缶の蓋を開け、有機溶媒を獣に浴びせた。毛という毛が絡み合い、萎えた。死体はビニール袋に入れられ、仲間の眠る冷凍庫に放り込まれた。解剖に使用した器具は、漂白剤入りの洗面器に放置され、実験室の照明が消された。

 男は、デスクワーク専用の自室に入ると、白衣を投げ捨て、溜息をついた。それから、頭髪を掻きむしり、仕事机の抽斗からノートを取り出し、最後のページを本体から切り離すと、そして、パソコンラックの下段にある金庫を開け、そのページを投げ入れた。円筒状の物体が、倒れて転がった。彼は舌打ちして、それを立て直した。

 男はノートを鞄にしまい、部屋を出ると、非常階段を降りて裏口に出た。一台の車が、ライトを点けて停まっていた。彼は、助手席に座った。

 運転手が、お疲れ様でした、と声をかけた。

「今日も暴れてくれた」

 車は、がら空きの夜中の道路を突っ走った。

「まだまだ夜明けまでは遠いが、諦めんよ」

 男は、ノートを鞄から取り出し、紛失防止のため金庫に保管しておくように、あいつに手渡す際に伝えておいてくれ、と運転手に頼んだ。

「なくしはしないでしょう。子供ではありませんし」

男は、近づきつつあるネオンを眺め、あいつは子供なのだよ、と言った。





posted by ロスジェネ at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

肉樹2−1

 教授は、ポストゲノム研究センターの研究推進室に配属になって何年目になるのか、と立ち尽くす青年を責めた。彼は、教授の問いに、もうすぐ五年です、と答えた。彼は、事務手続きや組織の立ち上げに伴う人事・総務関連の雑用を行う事務員でしかないので、主力部隊である研究員と口論する気はなかった。彼等なくして、給料も賞与も有り得なかった。

「もう立派な古株じゃないか」

 教授は、窓の景色を眺めた。空地が、予定の新棟建設に利用されないまま、雑草を育てて広がっていた。

 青年は、平身低頭して詫びた。

「いい加減に、気をつけたまえ」

 青年は、頭を上げ、踵を返した。

 その時、一冊のノートが、高価な専門誌や学会報で窮屈になった本棚からはみ出ているのに、青年の視線が止まった。そのノートの背は擦り切れ、表紙は脱色した部分とそうでない部分とが斑になって、豹柄を成していた。

 教授は、景色を眺めつづけていた。青年は、教授の背中を横目で確認しつつ、大学ノートの背を摘み、音を立てずに引き抜いた。

 その日の夜、青年は、自宅の木造アパートの一室で、大学ノートを開いた。始まりのページには、論題が記されていた。それを一読するや、大学時代の旧友から得たミミズの知識が、青年の脳裏を去来した。人為的に細切れにされた断片から頭と尾を備えた元通りの体にまで作り直せるという、ミミズの再生能力だった。

 青年の旧友は、ミミズの再生研究に憧れて他大学の大学院に進学し、近況報告を兼ねたメールを、青年の勤務先に時折送ってくれた。メールの内容から、彼の研究内容について一通りは把握していた。

 ミミズの体内にはどの種類の細胞にも分化できる全能性幹細胞があると信じられ、それらしき細胞にその名が仮称として与えられていたが、その細胞の存在については、未だ解明されていなかった。旧友は、この細胞が仮称の通りの能力を有すると信じていた。

 修士論文発表会の時期になると、旧友は、自らが研究者として非力であり、修了後の就職先は未定であることを手短に報告し、二年間の研究成果を青年に教えてくれた。

 旧友は、ミミズの体内から取り出した全能性幹細胞の候補を蛍光色素で標識し、再生途中のミミズの体内に導入し、細胞の運命を追跡することを試みていた。刻んだミミズを酵素処理することでお目当ての細胞を体外へ遊離でき、更に蛍光色素を用いた細胞膜の染色に成功した。したがって、細胞運命の追跡に必要な下準備は整ったのだった。
しかし、旧友の研究はこれ以上進展しなかった。単離した細胞を、ミミズの体内に導入できなかったのだった。この細胞は、ミミズの体内を占める割合が僅かであるため、細胞集団として回収するには気の遠くなる個体数を扱わなければならず、困難とのことだった。

 青年は、単離された細胞の写真を見たいという旨のメールを送ったが、返信はなかった。

 この時を最後に、旧友との交流は途絶えた。青年は、彼が所属していた研究室の教官に連絡先を問い合わせたことがあったが、実家の住所も電話番号も変更されており連絡すらつかない、と苛立った口調で返答され、電話を切られた。

「ミミズの組織標本の観察〜全能性幹細胞を中心に〜」という題の記されたページから、ミミズ体内の各器官が矢印を引いて示され、全能性幹細胞と仮定されたそれらの分裂する様子が点描されていた。そのようなスケッチが、紙面いっぱいに、何ページも続いた。

 ところが、あるページを境に、ミミズとは程遠い姿が緻密に描かれるようになった。結晶の塊、蠕虫が絡み合ったもの、不定形のアメーバ様の集まり等がそうだった。

 そして、スケッチが終わった次のページから、丸字で書かれた文章が始まっていた。

…オガワシゲル氏の研究を引き継いだ私の成果を、この頁より報告します。前頁までに記録されたスケッチについては、彼が古井戸の中に遺していたミミズを組織切片にして観察し、その再現性を確認しました。シゲル氏の観察は事実と思われます。

…ところで、後半の信じ難いスケッチからは、ヒメミミズの全能性幹細胞が再生以外の何かに寄与しているように思えましたが、当事者であるシゲル氏はこれらの観察に関して考察を残していません。私自身、彼とはこの実験記録でしか会っておらず、彼の存命すら定かでないので、取り敢えずあるものだけで再検討しました。

…私は、培地の作製に使われた水を疑いました。もしシゲル氏がここで寒天培地を調製してミミズを飼育したのなら、一番身近な水の供給源である流し場の水道を使った筈だと考えられたからです。水道の蛇口を捻ると、濁った水が出てきました。この水を顕微鏡で観察すると、プランクトンが鞭毛を動かして泳いでいました。観察を続けていくうちに、動きの止まりかけているものを一匹見つけました。それは、プランクトンというよりは、鞭毛を得たミミズの全能性幹細胞といえました。

…そこで、調製した培地の上にこの微小生物を含む水を播き、そこに百匹以上のミミズを飼育し、飼育開始後一日目から二十四時間置きに組織標本にして、全能性幹細胞の挙動・形態変化の観察をすることにしました。四日目までは異常が見出されませんでしたが、五日目の標本で細胞の集合体を発見しました。それは、受精卵が初期発生の過程で行う卵割ではないか、と思われました。これを境に、卵割に留まらず、原腸陥入と思しき形態をした細胞塊やミミズと関連性のない小動物の形態まで見つかり、ミミズとは別の生き物が孵化しているのではないか、とさえ考えられました。

…ところが、七日目以降の標本には、これといった変化が見られなかったのです。あるのは、全能性幹細胞そのものでした。

…私は部屋を掃除し、一切の器具と文献を片付ける作業に入りました。その時でした。捨てようとしていた寒天培地に、得体の知れない生物達がいるのに気づいたのは。私は、一個一個をつぶさに観察し、ミミズの全能性幹細胞とそれに似た微小生物との関係について、以下のように考察しました。

…クローン動物作製において、電気刺激によって体細胞の遺伝子発現のプログラムがリセットされるように、全能性幹細胞と微小生物の融合が刺激となってこのリセットが起こり、生命が爆発的に生まれたカンブリア期の時代にまで遡行してしまったのではないか、そして、出来上がった融合細胞は、卵割・原腸形成を経て、新生物として孵化したのではないか、と考えたのです。バージェス頁岩で発掘された動物達を例にとると、五つの眼を持つオパビニア、魚類の背骨だけの外見をしたハルゲキニア、剣山の代名詞ともいうべきウィワクシア、ナメクジに多数の体節と肢を加えたアシュエイア、等の類似体といえました。他にも吐き捨てるほどありましたが、世界中の動物百科を紐解いたとしても、その紙面が色褪せるのではないかと思われたのです。
しかし、この動物園は、予想外の閉園を迎えました。観察を一旦終えて生物達を培地に戻そうとした時でした。このままではこちらが食い殺されるのではないか、と危機感すら覚えました。私は、いろいろな生物への進化に挑戦したが、結局は以前の比較に及ばない繁殖能力を獲得したのだと解釈し、培地をシャーレごと、ミミズの元の住まいである古井戸跡へと投げ捨てました。

…以上です。次頁には、記憶と空想に任せた私自身の考察のイラストを描きました…

 青年は、次のページを捲ろうとしたが、デスクワークで蓄積された疲労が頭に圧し掛かり、万年床に滑り込んだ。

 町工場の始業サイレンの音で起床すると、青年は昨日まで読んだページの裏を捲った。絵入りのフローチャートだった。プランクトンが全能性幹細胞と融合して新生物として孵化し、甲殻類と思しき多足の生物で入り乱れるものの、最後にはミミズの終着点に束ねられていた。

 ここでノートは終わっていたが、その向かい側のページに地図が描かれていた。ミミズの住む古井戸の所在地についてだった。
青年の有給休暇日数は、消化しきれないくらい貯まっていた。体調不良のため一日休む旨を勤務先に告げると、防寒着を着て、アタックザックの中にアウトドアの必需品と大学ノートを入れ、家を出て、在来線の鈍行に乗車した。大学ノートに記された駅までの時間を寝て潰し、目的の駅で降車した。無人の改札口を抜けると、ノートの道順に従って、誰も歩いていない畦道を抜け、古寺に着いた。それから、脇道に始まる急坂を登り切り、門前のブザーを押した。誰も出て来なかった。

 青年は、ノートの地図を頼りに、古井戸跡への野原に通じる入口を探した。家の裏は、潅木の混じった笹藪があるだけで、入口らしいものは見当たらなかった。しかし、笹を掻き分けていくうちに、片足のやっと入る細道が見つかった。彼は、細道を辿った。笹の背丈が次第に増し、行く手を阻んだが、構わず進んだ。道は、杉林の中に入ってからも続いた。進むうちに、日光が枝葉に遮られ、ほとんど洩れてこなくなった。そして、道の幅が狭まるにつれ、勾配がきつくなった。露出した木の根にしがみ付いて登りつづけなければならなかったが、乗り越えた先には、バラックと石造りの古井戸が日の光を浴びていた。

 青年は、バラックの扉を押し開いた。照明器具は何所にも見当たらなかったので、ヘッドライトだけで部屋を見渡した。正面には、組織切片を作るための手動のミクロトームと蜘蛛の巣の張られた顕微鏡が、木製テーブルの上に置かれていた。右手の棚には、試薬瓶やプラスチックのケースが並び、一番下の段にダンボール箱が沈んでいた。彼は、この箱を引っ張り出した。綿埃を払いのけると、英語論文の他、動物百科や生物学辞典等が積まれていた。左手にある流し場の水道の蛇口を捻ったが、水は出なかった。

 青年は、棚の中に積まれたプラスチックのシャーレを一枚失敬すると、古井戸の蓋をどけた。ヘッドライトの光を井戸の中に照らすと、汚水が波打っていた。彼は、水を凝視した。彼の体重を支えていた井戸のブロックが、外れて落ちた。青年は頭から落下しそうになったが、地面に指をめり込ませ、上体を引き戻した。落ちたブロックは、何処にも残されていなかった。

 青年には、ブロックが水中に沈むというよりは、覆い尽くされたように見えた。ぎりぎりと思える所まで身を乗り出し、持って来ていたシャベルを水面へと伸ばした。汚水の表面が先端に触れ、ほどけた。

 青年はシャベルを引き戻し、井戸から身を離すと、シャベルを掴んだ手の指先まで攻め上ってきたミミズをシャベルごとビニール袋に入れ、口を縛った。

 青年は特急に乗り、その日の夜に帰宅した。帰り途中で失敬した公園の黒土をシャーレに敷き詰め、シャベルを我が物としていたミミズをシャーレに移し、自宅の冷蔵庫に閉じ込めた。

 思いつきの策が、功を奏した。次の日の朝になっても、ミミズは増えずに這い回っていた。一匹だけ室温に取り出して、霧吹きで湿らせた机の上で胴体を切断したままにしておくと、その次の日には、切断した回数の千倍以上もの完全個体が、水滴中で絡み合っていた。






posted by ロスジェネ at 05:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

肉樹2−2

 その日から、ノートの黙読が日課になった。

 開く度に、読書時間は長くなっていった。しかし、何度読んでも表紙の裏にある走り書きだけが解読できなかった。ただの傷跡にしか見えなかった。

 しかし、距離を置いて見直してみると、アルファベットの筆跡が浮かび上がった。Hybridであり、Hydraだった。前者は雑種を意味し、後者は腔腸動物のヒドラのことだった。

 青年は、この二つの単語にはミミズと何らかの関わりがあるのだろう、でなければわざわざ書き残す必要はない、と考えた。

 数日後、青年は、大学ノートの裏表紙の硬さに違和感を覚え、紙面を撫で回すうちに、地図の藪からバラックまでが貼り付けられた厚紙であるのを発見した。それを、爪を立てて剥がした。大学ノートの字体で、二つの固有名詞とその電話番号が書かれていた。

 青年は、聞き覚えのあるR.Shizunaiに電話をかけたが電波が届かないとのことだったので、KAMOMEに電話をかけた。

 出てきたのは、成人男性だった。とある半島近辺の港町にある個人経営の喫茶店で、ネットサーフィンが売りとのことだった。青年は、住所と最寄りの駅からの交通手段および建物の特徴等を教えてもらった。

 その週の土曜日、青年は最寄りの駅から路線バスに乗り、人気のない海浜公園で下車した。海岸沿いの道路を歩いていくと、螺旋階段のある建物が見えてきた。青年はその階段を上り、Welcome to KAMOME≠ニ書かれた板がぶら下げられたドアを開けた。エプロンをかけた中年男が、いらっしゃいませ、とカウンターから挨拶してきた。

「よく来られましたね」

「海を眺めるのもたまにはいいかな、と思いまして」

 青年は、正面のカウンター席に座り、店内を見回した。体中をピアスで飾ったスキンヘッドの男、長髪を虹色に染めた男女、背中に性器の刺青を施した若者、そして、女性とも男性とも見分けのつかぬ服装をした青少年が、マウスを操っていた。

「見ての通り、ネットサーフィンは当店の売りなんですよ」

「しかし、マスター、この人達は…」

「不気味でしょう、見ているだけで。でも、遊びではないんですよ」

 彼等なりに、自分の居場所を探し、自分自身の命を燃やそうと模索している最中であり、そうしなければ何をやってもうまくいかないことを彼等は理解している、とマスターは言った。青年は、そんなことより、話を切り出したかった。

 マスターが、口を開いた。

「そういえば、昔、ここでユニークなことをしていた若者がいましたね」

 青年は、もし良かったら教えてほしい、と早口で求めた。

 その若者は、英国の科学者が著したという洋書をいつも片手に持ち歩き、ウニとホヤのハイブリッドを創造してみせると公言し、雨の日も風の日も地底海岸に通って飼育し、実験をしぶとく続けて成功を修めたが、今から一年前に、長期のアルバイトにありつき、旅立ったとのことだった。

 ウニとホヤのハイブリッドなど、青年は一度も聞いたことがなかった。

「それは、今も生きているのですか?」

 マスターは青年の問いには答えず、エプロンのポケットから鍵を取り出し、客席に挟まれた通路の奥にあるドアを開け、机の上に置かれていた営業鞄のナンバーロックを解除すると、ドアを閉めて退室した。

 鞄の中で束となっていた印刷用紙には、雑種形成と種の多様化に関する理論が、海産の無脊椎動物の幼生と成体の形態から得られた知見を基に、展開されていた。青年は、何度も眠気に耐えられなくなって紙束を投げ捨てたくなったが、その度に持ち前の好奇心で睡魔を払い除け、この専門書の抜粋の貼り合わせを読み進め、問題の実験の章に到達した。

…博士は、ナツメボヤとヨーロッパホンウニの雑種形成を試みた。ナツメボヤの卵をヨーロッパホンウニの精子で受精させたところ、後者の幼生であるプルテウス幼生にまで発生した雑種二千個体の中で、変態を遂げたのは僅か二十個体のみであった。これを水槽で一年間飼育したところ、四個体がウニとして生存していた。

…しかし、プルテウス幼生の段階で発生の止まった大部分の雑種幼生には、異変が見られた。片側の腕足だけが少しずつ退縮し、左右非対称な体形になった後、プルテウス幼生よりも小さな球体になり、その球体から突起が生じ、ナツメボヤのオタマジャクシ幼生から尾を切除した格好になった。この幼生は、泳いで水槽の壁に付着できるが、成長も変態もすることなくそのままの形で死亡したため、その後の発生の進行については未だに観察できていない…

 青年は、この幼生のその後について、書き手の自説が何処かに記述されているのではないか、と考えた。発生の運命が未知ならば、探究者としての仮説の一つや二つは提示されてもおかしくない、と思われたからだった。しかし、今後の研究課題や科学者自身による新たな分類体系の提案が続くばかりだったので、彼は長文を斜め読みしていった。

 その後、書き手の行った実験の記録を走り書きで構わないから読みたいと願って束の紙を捲っていると、参考文献の網羅された最後のページの裏に、手書きが見つかった。とはいえ、水性インクが滲んで墨絵のようになったのが大部分だったので、文章として読めたのは僅かだった。

…そいつらは、一ヶ所に蹲っていた。数匹だけ岩陰へと隠れたが、大多数は動く気配すら見せなかった。俺は、息を殺して顔を近づけた。
そいつらは、一見ホヤのオタマジャクシ幼生のようだが、楕円球の胴体がフジツボの外殻で覆われた格好をしていた。その両体側には硬骨魚類の鰓が揃い、甲殻類のノープリウス幼生の持つ肢二対で踏ん張っていた。口は特定できなかったが、目と思しき一対の球体が光を発していた。また、ホヤのオタマジャクシ幼生は単体節であるのに、そいつらはミミズやゴカイが持つような多体節を尾に備えていた。そして、杉の木のような形をした一対の器官が胴体からそそり立ち、前後に微動していた。

…実験時の海水に対象外の動物の精子や卵が混入し、結果として多精による受精が行なわれたのかもしれない。
俺は、早々と立ち去るべきだった。しかし、そいつらに見入ったまま、考察の世界に没入してしまった。

…それがいけなかった。奴等は飛翔し、空襲を仕掛けてきた。一匹が俺の肩に吸い付いた。ただごとではない吸引力に焦り、何度も殴って外した。俺はそいつを投げ捨て、岸を目指して泳いだ…

 青年は、別のページの裏に、雑種幼生の漫画が描かれているのを見つけた。

 棘、角、羽、甲羅、そして爪の長い手足を備えたオタマジャクシだった。

 営業鞄の中には、この束の他に一冊の本が入っていた。表紙には、プルテウス幼生の写真が載っていた。本の前付けのページには、「ナツメボヤの卵とヨーロッパホンウニの精子から生まれた雑種幼生」と注釈が記されていた。八本の管足を持つ、ごく普通のプルテウス幼生だった。

 青年は、この本を捲り、実験で作られた雑種幼生の個体発生について描かれた絵を見つけた。一つは普通のウニに、もう一つは球体へと育つ流れ図が描かれていた。後者は、あのオタマジャクシ幼生へと変態するのだろうか。彼は、頬を火照らせて見入った。

 青年はカウンターに戻り、雑種幼生の居場所までの道順をマスターに訊いた。

 マスターは、拒んだ。死者を出したくないという本音が、さらけ出された。

 青年は、引き下がらなかった。ユニークな生物に魅せられて、暇さえあれば関連の文献や古書を集めてきた身で、生き物への探究は唯一無二のライフワークなのだ、と主張して諦めなかった。

 マスターは、過去にも生命の探究こそ我が魂と言い張って地底海岸に挑んだが、失禁して逃げ帰った小犬みたいな面構えの若者がいたことを語り、取り止めを求めた。しかし、青年には逆効果だった。行方の知れない旧友にも、小犬に喩えられる特徴があった。もしもその敗者が旧友だとしたら、彼の分まで実物を見ておかずにはいられなかった。

 マスターは黙りこくっていたが、入口のマンホールから地底海岸までの道順を教え、致命傷を負って生還できなくても責任はとれない、と忠告し、オープナーと懐中電灯を青年に手渡した。

 青年は、マンホールをオープナーで開け、それらを脇にどかすと、懐中電灯を頼りに下水道を進んだ。突き当りを曲がると、空洞から顔を出した梯子を見つけた。三点支持を守りながら降りる動作を繰り返すうちに、足が砂を踏みしめた。照明を動かすと、砂浜、岩盤、そして潮の満ち退きが露わになった。更に、照明の外でそれとは異なる明るみが浮いているのを、彼は見つけた。

 青年は、自由形で明るみを目指した。窪みに着くと、岩肌が青白く発光しているのがわかった。棒状の器官が、動いては擦り合っていた。それらの持ち主が、ぎゅうぎゅう詰めになって蹲っていた。
青年は、漫画に正確無比な生命を前に、長いこと留まった。

 青白い彼等が、飛来した。青年は懐中電灯を消し、水に潜って相手を撹乱しようと試みたが、仄かな光が水中の彼を包囲した。

 青年は、全速力で岸を目指した。

 指先が砂を掻くと、懐中電灯を点け、先に見える梯子に跳びついた。梯子を登り終えると、もと来た道を全速力で走って地上に脱出し、マンホールを閉めた。

 青年は、息絶え絶えになってKAMOMEに帰り着くや、呼吸を整え、逃げ切るのに精一杯でお宝どころではなかった心境をマスターに語り、項垂れた。

 マスターは、青年の長ズボンが不自然に突っ張っているのに気づき、指摘した。

 その場でズボンを脱ぐと、三匹の小動物が裏地にしがみ付いてい
た。

「こいつらは…」

「……飼いましょう」

「正気ですか?」

「ええ。ライフワークですから」

 青年は、借りていた道具をマスターに返すと、ズボンで三匹を包んだままにし、自身は別のズボンを借りてはき、近くのペットショップに行って水槽とエアーポンプを購入した。そして、砂を敷き、海水を注ぎ、ウニとホヤの間の子を入れ、水槽にアルミホイルを貼り、光を遮断した。更に、三匹の子供達は、敷居で作った個室にそれぞれ隔離された。

 青年は、口笛を吹いて帰宅した。

 割り箸で突つかれると、彼等はむずむずと動いた。魚の鰓のような器官以外は頑丈で、貝殻に触れているように思われた。餌は白子干しを好み、週に一回で十分だった。





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肉樹2−3

 間の子の飼育が軌道に乗ってきた頃、ようやくヒドラの関係者と連絡がとれた。R.Shizunaiなる人物は、青年は声を聞いてやっと思い出せたのだが、高校時代の同級生だった。愛用の携帯電話が故障してしまい、修理に出していたとのことだった。クリスマス・イブに、彼の勤務先である女学院で会うことが決まった。

 当日は平日だった。午前中に事務処理を手早く済ませ、半日の有給休暇届を上司に提出し、同級生の待つ女学院へと向かった。

 私鉄を七本乗り換え、下車した駅前でバスに乗車した。終点の団地内の公園で下車し、女学園に直通する石段を駆け下りた。
職員用玄関で用件を告げると、白衣を着た長身の元クラスメイトが現れ、青年を実習準備室へと案内した。

 教員用の机と教材研究用の資料の置かれた棚を境に、実験器具や試薬類を始めとして、PCR装置や遺伝子組換え学習用キット等が完備していた。ブラインドで日光の遮られた窓際には、ツメガエル、メダカ、ミジンコといった実験動物が、青年の知らない飼育装置で飼われていた。

「景気良いな」

「処女含有率が桁外れに高いお嬢様学校だからな。裕福なご家庭ばかりよ」

「懐かしい表現だ……でも、今日はそんなことはどうでもいいんだ」

 青年は、マイブームになっているという理由をつけて、ヒドラの再生と出芽に関する話題を持ち出した。

「ヒドラか…」

 元クラスメイトの目つきが、鋭くなった。彼は、水槽の置いてある実験机の棚から、皺と沁で彩られた雑記帳を取り出し、それに目を通しながら語り始めた。

…新入生を迎えた四月だった。俺は、理科教師が集う勉強会に出席したのだが、その時に、隣席の年輩教師と歓談する機会があった。彼は、何でもグリーンヒドラの体内に共生しているクロレラを使っていろいろ試みているというのだ。クロレラをグリーンヒドラの体内から除いてもどちらも生存できるといった報告を聞いているうちに、一つのアイディアがだしぬけに閃いた。ヒドラは個々の細胞にまで解体でき、日数が経つとその細胞同士が集合して元通りの個体が再構築できるという。ならば、グリーンヒドラの細胞とその共生体であるクロレラの融合も起こり得るのだろうか。それは、プロトプラストの細胞融合の方法で試せはしないだろうか、と。細胞レベルからの個体再生能力と葉緑体の光合成による独立栄養を兼ね備えた無双の生命体の誕生というのも、絵空事ではないかもしれない、という独り善がりな空想に振り回され、午後の講義や討論会は俺の耳から耳へと抜けた。

…俺は、次の週の放課後に、大学時代の知り合いから得たヒドラの細胞分散実験のプロトコルを用いて、年輩教師から頂いたグリーンヒドラで実践した。

…まず、ヒドラを細胞レベルにまで分散させる試薬と分散したヒドラの細胞用の培養液を作製し、それらを用いて遊離細胞の溶液を得た。
次に、個体のグリーンヒドラをシャーレに移し、光合成の阻害剤を加えた。しばらく経つと、ヒドラの口から緑色の球体が幾つも吐き出された。しかし、この状態では細胞壁があるから、細胞膜同士による融合はできない。そこで、酵素を使って細胞壁を分解させ、更に、別の酵素で細胞接着に必要な蛋白質を分解し、クロレラ同士の接着を防いだ。それから、酵素処理の終わったクロレラを、浸透圧で細胞が壊れないように保存用の溶液に移し、チューブ内に放置した。

…クロレラにはもう細胞壁はないので、適当な条件が揃えば、動物と植物という系統の離れた間柄でも融合は可能だと考えていた。そこで、ヒドラの遊離細胞の溶液とクロレラの溶液を同じスライドガラス上に滴下し、融合を起こすための試薬を加えた。

…予想は的中した。ヒドラの細胞とクロレラがくっつき始めた。そこからは、あっという間だ。クロレラとヒドラの細胞が押し競饅頭となって融合を繰り返し、気がつけばアメーバが一匹、ガラススライドを這っていた。その緑色はクロレラの葉緑素によるもので、収縮運動はヒドラのものだったと思う。

…このアメーバは三日経つと筒の形になって触手を生やし、一ヶ月後にはヒドラそのものになった。その翌日、俺は準備室の大掃除を行い、ヒドラの水槽を日陰から日当たりの良好な窓際に置いた。ヒドラは、急成長を見せたんだ。しまいには、シャジクモみたいな水草になってしまった…

 青年には、細胞融合が成功してアメーバが誕生することも、アメーバがヒドラへと育つことも、法螺話にしか思えず、正直な感想を伝えた。

「信じ難いだろうな。正直、気味悪くなって処分しようと何度も思った。だが、殺さなくて正解だったよ」

…その年の夏、俺は一つの問題を提起した。繁殖についてだ。お前も知るように、ヒドラは出芽によって自らのクローンを生産できる。有性生殖も可能だ。ところが、この水草がどのような生殖戦略で増えているのか、という疑問点については、根元と先端の区別がつかないまでに成長したこともあって、肉眼だけでは皆目検討もつかなかった。

…ところが、俺は一つの見逃しに気づけた。俺は、新しい水槽を用意し、その中に水草を移してから、古い水槽の底の水をピペットで吸い取り、顕微鏡で観察した。粒が付着し、どれもが自在に伸縮していた。それから、疣が現れて触手になった。そいつらの色は、アメーバと同じ葉緑素の緑だったよ…

 元クラスメイトが開いていた観察記録のページには、アメーバとそれに触手が加わった筒の形、水草としての外見、そして、ヒドラがスケッチされていた。

「その小さいのは、成長するとどうなる?」

「一本の水草になったよ。そして、触手の先端がくびれて切れて、子として産み落とされるのさ」

 青年は、にこやかに水草を眺め、科学者への憧れを至上の喜びとした学生時代を回想した。だが、青春時代がどれだけ夢一杯だったとしても、誰でもこなせる事務員でしかない今となっては、如何なる懐古も無意味であるとして、却下した。

 元クラスメイトが小便に行ってくると言って部屋を出た直後、青年は水草の一本を抜き取り、ポケットに忍ばせていた試薬瓶に詰め込み、水槽の水を移し入れた。元クラスメイトは用を足して戻ると、青年が水草の真実を知る二人目の外部の人間であることを明かした。一人目は小犬のような面構えをした同年代らしき男で、早朝の準備室で雑記帳を片手に水草を見つめていたのだが、非常警報にびくついて逃げ去った、ということだった。

 元クラスメイトは、一人目の逃走経路を青年に教えようと、窓の外へと目を向けた。しかし、外は暗くて何も見えなかった。

「……早いなあ。冬の夜という奴は」

「全くだ。ところで、帰りも行きと同じバスでいいのか?」

 バスは終わっていた。青年は、駅までの道を徒歩の途中で間違え、名前の知らない駅からの乗り継ぎに体力を消耗し、次の日に帰宅した。彼は洗面器を用意し、その中に瓶の水草と水を注ぐと、放置して日数の経ったバケツの水を足した。

 青年は、約三時間の睡眠で、どうにかその日の職務をこなせるだけの体力と気力を蓄えた。眠気と無気力に襲われつづけたものの、業務終了時刻の午後六時、他の事務職員達と共に、忘年会の会場であるデパート地下街の中華料理店に移動した。

 脚光を浴びることはなく、半ば条件反射でこなせる事務処理を黙して行う彼等は、ここぞとばかりに飲み、はしゃぎ、外れた音程で歌謡曲を熱唱し、踊り狂った。青年はというと、摘もうとする料理にすら視点が定まらず、うとうととしていた。

「いやあ、いやあ、今年も終わりだねえ」

 腹と胸にどっぷりと贅肉をつけた中年男が、青年の首を抱き寄せようとしながら、頬を赤らめて笑っていた。

 何故、事務職の飲み会に彼が参加しているのだろう。そんなことは青年の知ったことではなかったが、うとうととしつつも、大学ノートのことが頭の中を過ぎった。

 ばれたのかもしれない。

 青年から、教授の酒臭い体に腕を回した。

「先生、国際分子生物学会お疲れ様でした」

「学会なんぞは日常のことだから苦しゅうない。それより、大事なもんなくしちゃってねえ……ただのノートなんだけどさあ……大掃除のどさくさに紛れて捨てられたみたいでねえ…」

 青年の眠気が、一気に覚めた。

 教授は、意味の不可解な語句を二言三言吐くと、頭を傾け、鼾を掻き始めた。

「園部先生、いろいろとあったんだよ。こんなの初めて」

 同僚の女性職員が、教授の轟沈に驚き呆れた。

 そのソファの真後ろにある鑑賞用の樹木に隠された隅から、眼差しが、熟眠中の教授を射抜いていた。それは、宴会が終わる午前まで離れなかった。





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肉樹3−1

 巷に帰って、三ヶ月が経つ。

 寝床だった臨海副都心の廃墟、人呼んで臨海区で起こったテロルは、どのテレビ番組にも報道されず、読み捨てのスポーツ新聞にすら掲載されなかった。風俗雑誌やスキャンダラスな週刊誌を漁っても、耳粕程度の情報すら見つからなかった。俺の味わった強襲が政府の計画したテロルならば、一切が非公開になるのは理解できる。全国各地から掻き集めた浮浪者を一掃して国富を担う大事業を立ち上げるのであれば、半端ではない面積の土地と計算機で扱いきれない血税が要るだろう。

 俺としては、生きて逃げきれただけでも十分満足だが、欲を言えば、そこで何が生まれるのか、一被害者として見届けたい。次世代ITのベンチャーバレーか、ゲノム医薬開発の巨大研究施設か、あるいは、高齢者用の介護未来都市か。他にもいろいろ可能性があるかもしれないが、生まれる価値については今後の楽しみの一つにでもするとしよう。地球を支配する時間は、一定の速度にしか流れないのだから。

 俺が定住している河川敷には、俺の他にも十人前後の自由人達が、ビニールシートとダンボールの簡易住宅に住みついている。

 クリスマスの初雪が、俺の体に貼りつく。居住者の一人が、聖書を朗読している。髭が白ければサンタクロースになれそうなデカブツが、腐りかけた骨付き肉を仲間達に配っている。失業を機に引っ越してきたというリクルートスーツの野郎が、嬉々としてジングルベルを独唱している。

 凍え死んであの世で目覚めなければ、明日の銀世界に出会えるだろう。

 その風景を、二人の見知らぬ男達が、俺の前に立ちはだかって掻き消す。

「雪見の最中だ、どけ」

 しかし、彼等は不敵な笑みを浮かべたまま、退こうともしない。

「そんな下らないものを見ていて、面白いか?」

「そうだ。雪見など何になる?」

 一人は、鬚の伸び放題の筋肉質で、もう一人は、やくざ者の面構えをした坊主頭だ。

「悪いか?」

 俺が坊主頭に言うと、

「少しの間だけ付き合ってもらうぞ」

 彼がそう言って、襤褸を脱ぎ捨てる。全身を覆うタイプの水着を着ている。

「見せたい物がある。しかし、先程手を滑らせて落してしまってな」

 坊主頭は、両手の掌に息を吹きかけ、助走をつけ、飛び込む。ほどなく、彼は浅瀬に這い上がり、瓶を掲げる。ボタ雪が邪魔して、瓶の中にあるものを見定められない。

 坊主頭が、瓶を投げる。しかし、こちらに向かってではない。瓶は放物線を描いて降る雪を散らし、鉄橋の支柱前で着水する。河川の最深部だ。つい最近だが、魚釣の好きな老い耄れが足を踏み外して溺死した。

「お前の目で確かめろ。俺達のつるむ理由がわかる」

 中州から、坊主頭が声を張りあげる。

 髭面が俺の腕を掴み、夜空へと放り投げる。人間を詰め込んだ電車の鉄橋通過を越え、墜落すると、骨まで凍りそうな痛みに縛られる。

 口に、鼻に、異物の混ざった水が入る。吐き出し、落ち着け、と渾身の暗示をかけて潜り直すと、底でぼやけている物が何とかわかる。

 両手でそれを掴み、引き抜く。

 俺は、水面から瓶を掲げて言ってやる。

「今から見せてやるぜ、いかれ野郎ども!」

 ボタ雪に紛れた二人が、歓声を立てている。普通の神経などしていないだろうから、よしとしよう。こいつでぶちのめすまでだ。

 俺を放り投げた主犯が、拍手喝采している。俺は岸に戻り、瓶をそいつの脳天に叩き込む。彼は鼻血を噴いて昏倒し、瓶は破片となって積雪に消える。中身が高速回転を経て、雪の上に着地する。俺はそれを拾い、何であるか確かめる。

 俺はぶっ倒れている髭面を一瞥し、腕を組んで悠然としている坊主頭を睨みつける。

「こんな茶番のために、寒中水泳させやがったのか?」

 頭が肥大し、何十本もの前足と後足を持った、変態中のオタマジャクシだ。尾の先端からも、関節の未完成な足を咲き誇らせている。アルビノなので目は赤いが、それも五対ある。それに、一匹分とは思えない量の内臓が、腹から露出している。

 筒には、標本を説明するラベルが貼られていない。突然変異で生じたのか、人工的に作製されたのかについては、不明だ。

「若いの、今の発言は撤回しろ」

 坊主頭が、略奪先の家主が猟銃を発砲してまで我々を阻んだ稀有の変異体なのだ、頭が高い、と自画自賛する。

「盗みをやれと?」

 そうではない。物珍しい品々を巡る探索への船出なのだ、と声が降る。

 坊主頭が、空へと顔を向ける。

 長身の男が、鉄橋のてっぺんから、こちらを見下ろしている。
男は、腰まである髪をなびかせて俺の前に降り立ち、瞳をぎらつかせ、俺を同志に誘いたい、と言う。

 何処までふざけているのだ、と言ってやっても良かったが、俺自身、奇形の標本に興味関心がないわけではない。むしろ、自分の趣向に合っている。それに、失職を皮切りに所帯も財産も戸籍も手放す羽目になった俺にあるのは己の命くらいだし、希薄で退屈な老後よりは濃淡に富んだ晩年の方がましだ。

 男は、俺の名前と職歴を訊いてくる。俺は記憶に残っているだけの自己紹介をし、大学時代に熱中していた生物学、特に寄生虫とか細菌に興味があることを伝える。

 坊主頭が、気絶している髭面に歩み寄り、そいつを背負って元の場所に戻ると、男に頷く。

 長髪の男は、今より俺を同志に迎え入れる、と言う。そして、自らの名前について、永劫の永に刹那の那でエイナというのだと、教えてくれる。





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肉樹3−2

 次の日から探索は始まり、信じられないが、一月もしないうちに組織に溶け込める。奴等とは、呼吸が常に合うのだ。

 そして、あっという間の半年が流れる。

 俺は、産業機材の散乱した林道を、同志と共に進んでいる。鴉が喧しく鳴いている。黙らないか、と髭面が癇癪を起こし、エネルギーは今日の探索で燃やせ、と坊主頭が諌める。

 その彼が、俺が同志に加わった当時の裏話を持ち出す。
永那はずっと前から俺に目をつけており、全ては仕組まれた勧誘ではあったが、彼の読みは見事的中したというのだ。見込んでいた通り、宝の価値を見抜き、敵と対峙しても負けることのない傑物である俺に満足しているのだという。確かに、絶版の植物画集、希少動物の剥製、ヒト胎児の骨格標本等を時と場所を変えて漁り、手ぶらでアジトに帰ったことは一度としてなかった。

 朽ちた落葉樹の林が終わった先で、林道が途切れ、視界が開ける。
角張った建物が、荒地の中で夕陽を浴びている。

 運転手のスキンヘッドがブレーキをかけ、車が止まる。

「あれだよ。ゴミ収集の公務員達が、公園のベンチで喋っていたのさ。ここ一帯のゴミには…」

「もがく死体がある、と?」

 髭面が、口を挿む。スキンヘッドは頷く。

「いつもの耳鳴りではなかったのだな?」

 坊主頭が、声を低めて訊く。

 スキンヘッドは、デマだったら首縛りにでも何にでもしてくれ、と語気を強めて答える。

 ワゴンの行列が、エンジンの音を唸らせて近づいてくる。俺達の車の前で止まると、最後尾のワゴンから永那が姿を現す。

 夕陽が遥か遠くの市街地へと沈み、俺達の周囲に暗がりが広がり始める。

 右腕の地位にある年齢不肖のせむしが、永那を促す。
永那が、任務開始の音頭をとる。

 俺達は砂地の坂を駆け下り、研究所目指してぬかるんだ荒地を疾駆する。いつも通り、誰もが見慣れない世界にひたすら驚喜する幼児の感情を、満面に漲らせている。

 俺は同志達と共に柵を飛び越え、裏口の一つに面したゴミ置き場に到着すると、誰一人私語を発せずに永那の到着を待つ。

 永那はせむしと共に到着し、手振りで探索を命じる。

 髭面が、手前のポリ袋を持ち出し、引き裂く。続いて、同志達が別の袋を引っ掴む。

 俺は、今回の相手は死体であるから絶対に怪我をしないように、と注意する。ほんの小さな擦り傷から黴菌が侵入し、体を蝕み死に至ることもあるからだ。僅かな働き盛りの人生を、実験動物への薬物注射と解剖に忙殺されていたので、死体からの自己防衛のイロハくらいは心得ているつもりだ。

 彼等は、俺の指示通りに、ゴミ袋から出てきた使用済みの手袋をはめ、死体探しに躍起になっている。しかし、使い捨てのシャーレやチューブ等の消耗品ばかりで、肝腎の死体がない。同志達は、懸命に手を動かしているが、顔つきが暗い。同志の一人による愚痴が耳に入り、他のと重なり合って押し寄せる。傍らの焼却炉で、俺達の探索を見守っていた永那の表情が翳る。

 いきなり、メンバーの一人が、拳を突き上げる。

「兄貴、これだろう?」

 新参者の青年が、一匹の死体を掲げている。

 俺は、その死体に目を移す。体長はラットと同じくらいだが、贅肉がふんだんについており、大人一人の腕力で持ち上げるのも容易とは思えない。それに、頭と尻が削がれ、手足は使い物にならないくらいに短いため、ラットと断定できない。

 俺は、命を持たざるこいつが何物なのかを、見定められない。

 皆が、視線を俺に注ぐ。

 新参者に死骸を仰向けに寝かせるように言い、ゴミだったメスを使ってこいつの腹を切り開く。脂肪であろう白濁した塊が、溢れ出る。

 永那が、執刀する俺に言う。

「腹の中に、宝は隠れているのかもしれないな」

 胸から腹までの皮という皮を、膜という膜を裂いていくと、肥大した五臓六腑が丸見えになる。それらの全表面には、無数の細やかな毛が生え、蠢いている。

 ほどなく、死体そのものが、足掻き始める。

 と同時に、同志達が一斉にそっぽを向く。

 どうしたのかと声をかけても、誰も応答しない。

 俺は死体から身を離し、人込みを掻き分け、彼等の注目の的を確かめようとするも、ソプラノの悲鳴に怯まされ、できない。聴覚はすぐに回復するが、ドアの閉まる音と駆ける足音が木霊するばかりだ。

 永那が、不審な小男を総動員で捕えるよう、皆に命じる。
髭面と坊主頭達はせむしに続いて正門へと駆け出し、俺と残りの同志達は棟内に入った永那に続く。

 俺達は、走れるだけ走り、壊せるだけ壊し、潰せるだけ潰す。珍しい展開ではない。過去の探索の半分は穏やかなまま終わったが、残りの半分は宝の所有者や変質者との乱闘が必ず含まれた。その度に、俺は暴れ、宝を同志達の手元へと導いてきた。

 永那が登り階段を遮るシャッターを長刀で捌き、俺が棟内の物置で拾った棒を用いて穴に仕上げると、同志達が侵入する。

 若手の一人が、怪しげな空き部屋を発見したと呼びかける。永那は頷き、その部屋のドアへと急ぐ。

「お前が開けたのか?」

「いいえ、見つけた時から、半開きに」

 俺達は、籠の積まれた実験室に立ち入る。

 部屋がいきなり眩しくなり、熱風が吹きすさぶ。

 のた打ち回る炎に呑まれそうになり、入口へと飛び込む。

 盲滅法に通路を突き進みつづけると、目を凝らさずとも、前方が見えるようになる。

 戸締りのされた部屋という部屋から、照明が点きだしているのだ。
だが、避難先の別棟とそれを繋ぐ連絡路は、まだ暗い。

 俺はその連絡路を走り抜けようとするが、シャッターが行く手を阻む。

 それだけではない。

 人影が、俺との距離を、既に詰めている。

 刃の切っ先が、瞼に達する。

 身を屈め、雄叫びをあげて踊りかかるも、下腹部への蹴りに力を失い、棒を手放す。

 ぎらぎらとした刃が、振り下ろされる。

 しかし、兜割りは避けられた。二体の人の輪郭が、影の主に絡みつ
いたからだった。そいつらが俺に向かって何か喚くも、燃え盛る音に掻き消され、聴き取れない。

 がんじがらめにされた影の主が、脇腹の辺りをぐっと握り締める。
先までいた棟から破裂音が高鳴り、視界が歪む。

 俺は棒を拾い上げ、出口を押し開き、炎の届いていない廊下へと飛び込む。腹の激痛と相談しつつ、下り階段をできる限り転げ落ちる。

 それはすぐに終わる。

 廊下の曲がり角が明るい。その部屋には、ソプラノの歌い手が控えているのだろうか。

 窓付きの扉を、押し開けて入る。

 小柄な男が、突き当たりの机に乗り、箱を小窓にぶつけて叩き破っている。

 俺は、こっち向けよ糞野郎、と呼び止める。

 男が作業を中断して、こちらを向く。

 知っている顔だ。

 殺気立たずにはいられない。

 男は、窓へ攀じ登ろうとする。手の届く範囲内のガラス瓶を浴びせると、男は金切り声をあげ、箱を投げつけてくる。俺はそれを受け止め、下腹部の痛みを堪えながらも棒で頭蓋を狙うが、空振りとなる。

 男は小窓をくぐってしまった。

 死ねくたばれという喚き声が、鼓膜に伝わる。

 その声が轟音に掻き消され、背中をどつかれ、暗闇に向かって意識が遠のいていく。

 しかし、頭痛がして、それだけは消えない。

 そして、それだけが俺の生存権を繋ぎ止めている。

 その頭痛にむかついて目覚めれば、建物が全焼に励んでいる。

 俺は地べたに寝かされているが、喉が詰まり、吐瀉物をぶちまけ、立ち上がる。あの男がくれた金属の箱が、への字に変形して半開きになっている。てこの原理でも使えば、金庫番の役目を果せなくなった扉をこじ開けられそうだ。






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肉樹4−1

 退店時間になったんだからさっさと消えろこの役立たず、と夕方から入店する高校生バイトに怒鳴られ、注文の入ったハンバーガーを作りかけのままにして、ケチャップのこびりついたエプロンを外す。それから、ロッカー室でさっさと着替えを済ませ、生計を立てる手段としてのファストフードから遠ざかる。

 テレビ番組の気象予報士によれば夏は終わっている筈なのに、ハンカチでどれだけ額や首の回りを拭っても、汗が溜まる。これで冬が暖かくないから、都心の四季にはつくづく頭に来る。

 木造アパートの二階の自宅に帰ると、積み上げきれない文献類や就職情報誌を隅にまとめ、水槽のペット達の様子を確かめようと思う。だが、肌に染み付いた油とチーズの臭いが充満し、鼻につく。

 手を洗ってしまおうと、洗面台に行く。

 隣接している浴槽のカーテンが、閉まっている。

 シャワーを浴びた後はいつも開けている筈だが、記憶違いということもあろう、バブルソープで手の汚れを洗い落とす。

 そのカーテンが、ひとりでに開く。

 布きれで顔を覆った男が、浴槽の中で仁王立ちしている。

 男は、顔に巻き付いた布の他は何も身につけていないが、火傷や切り傷のそれぞれが独立した顔を作っている。

 男は、僕の首を片手で掴み、そのまま僕の体を持ち上げて、言う。

「うまい飯を食わせてくれ」

 僕は、二つ返事で受け入れる。

 インターホンが鳴る。配達員が、玄関に注文したデラックスサイズのピザの箱を置き、一万円札と小銭を渡す。

 ピザが届いたことを知らせると、男は洗面所から顔を出すや、箱を破り、脂ぎった商品を裂いて頬張り、飲み込んでいく。最後の四枚目を半分まで平らげたところで、お前食え、と残り半分を僕の口元に押しつけ、それを口の中に詰め込まされる。顎が閉まらなくなり、噛めなくなる。飲み水で生地をふやけさせ、何とか胃袋に流す。

 男は全身で謝意を表し、自分が着用していた服は手遅れなので玄関脇のポリ袋に捨てた、新しい服を着たい、と言う。僕は、普段使っていない衣類の入ったダンボール箱を、押入れから引き摺り出す。男は、黒いTシャツトランクスジャージを選ぶ。それから、飢饉から助け出してくれたお礼に、とっておきの宝物を見せてやろう、俺なんか赤ん坊に思えて怯えたくもなくなるだろうからな、と言って洗面所に戻り、入口から鞄を放り投げる。

「開けてみな」

 僕は、ファスナーを開け、口を広げ、目を瞑る。そして、日の光の眩しさに徐々に慣れるように、瞼をゆっくり開ける。

 液体に漬けられた動物の首の付け根から、紐状の物体がいろいろな方向に伸び、ケースに当たって折れ曲がっている。それは、切開された腹の中の臓器にまで普及している。

 男は言う。紐とまではいかないが、幾多の毛が生きているのを目撃した。

「ところで、お前さん、先祖返りって知っているか?」

 先祖の持っていた形質が、何代も後の子孫になって発現する現象のことだ。例えば、現在の馬の足は一本指だが、馬の祖先として知られるエオヒップスは前足の指が四本、後足の指が三本あったことが、化石の記録から知られている。現在も、足の指が余剰にある馬が生まれてくることが稀にあるらしい。

 ところで、この死骸と先祖返りの共通点など、あるとは思えないが。

 男は、顎で僕の机をしゃくる。僕が大学時代に精読した専門書が並び、当時のバイト代で購入した光学顕微鏡と組織染色用の道具類が置かれている。

「生物学の素養があるのだろう?」

 僕は、偏差値三十を満たない私立大学で生物学を専攻していた過去を、男に話す。

「それなら、リン・マーギュリスの名前くらいは知っているよな?」

 連続細胞内共生説を唱え、ダーウィンの自然選択説が優勢だった進化思想に多大な影響を与えた女性科学者だ。彼女の学説なら、大部分の生物学の教科書で図解されている。

 真核生物の細胞小器官のうち、ミトコンドリアは真性細菌α‐プロテオバクテリアを祖先とし、葉緑体は藍藻シアノバクテリアを祖先とする共生体なのだが、これらが古細菌の体内に取り込まれ、遺伝子の大部分を古細菌の核に移して独立性を失い、環状の遺伝子を保有した現在の細胞小器官となった。これくらいは知っているだろう。

 男は、喋りつづける。

 マーギュリスが最も焦点を置いているのはミトコンドリアでも葉緑体でもなく、スピロヘータだ。こいつは、鞭毛等の運動器官や増殖を目的とした細胞分裂装置の祖先とされているが、彼女によると、スピロヘータはミトコンドリアや葉緑体よりも早い時期に共生関係を持ったらしい。また、こいつには遺伝物質が確認されていない。自己複製するRNAがそれではないかと唱える科学者もいるらしいが、実証には至っていない。この遺伝物質を特定できないから前の二つのように脚光を浴びるまで研究は進展していないようだが、このスピロヘータが細胞小器官として確立するまでのストーリーについては、大方出来上がっている。

 男はあぐらをかき、太古の昔にスピロヘータの祖先が古細菌の祖先と融合してから中心体を大元とする運動器官と細胞分裂装置を共に備えた真核細胞となるまでの生命史について、教科書的な語り口で弁舌を振う。そして、スピロヘータが共生体であるという証拠についても語る。

「シロアリの腸管には、スピロヘータが群を成し、並列して腸に付着している。共生体である原生動物の体内にも住む。また、精子の鞭毛を切断すると、鞭毛だけが遊泳することが知られ……」

 男は、はっとして黙り、溜息をつく。

「卒研のことになると、つい饒舌になってしまう。俺も、生物学を齧っていてな…」

 スピロヘータの遺伝情報がRNAか否かについては実証されていないとのことなので、RNAの配列を基に中心体とスピロヘータの関係を解析していたのか、と訊く。

 男は、否と答える。今までの話の内容そのものがテーマで、論題は〈スピロヘータが細胞小器官になるまでの歴史の総括〉だという。男の在籍していた私立大学は、一研究室で平均三十人の卒研生を受け入れる規則になっているが、スペース上の都合で全員は入りきらないため、成績と実験のセンスを兼ね備えた少数以外は、教授から強制的に与えられた演習問題を解くべく、図書館に軟禁されて文献調査に精を出すのだという。

 男は、鞄の中にあった首なしの標本とスピロヘータと先祖返りが接点を持つ証拠について、例を挙げたいと言う。

 ビタミンEの欠乏等によるストレスを受けた脳下垂体では、過剰の基底小体や波動毛の形成が見られるという報告がある。共生体であるスピロヘータ由来の遺伝情報が実在するのなら、この形質発現の不安定化がその一因として考えられる。この標本の寄生虫も、同じ原因によるものだろう。

 つまりは、中心体が共生体以前のスピロヘータとしての自分を思い出し、死骸から伸びて暴れるようになったのだ、と男は締め括る。

「でもな、この話はもっとややこしいんだよ」

 男は、鞄の中から封筒を取り出す。僕は、男からそれを受け取り、三つ折りにされた紙切れを広げる。

「読んでみな」

…中心体は、細胞が増える時に染色体を均等に分配する役割を持つ微小管構造であり、DNAと同じく複製が可能だ。この中心体の複製を抜きに、細胞の正常な増殖はあり得ない。
例えば、中心体を除去された細胞では、複数の核が一つの細胞内に生じるが、DNAの複製を再び開始できない。
また、がん抑制遺伝子p53に変異の生じた細胞では、中心体の過剰複製による分裂の異常が起こり、最終的には染色体の構成が異常になって死ぬ。しかし、そうではないものもある。腫瘍細胞だ。しかし、死なずに増えつづけたところで、個体の死と共に一生を終えることに変わりはない。

…ところで、染色体の数や形が変わっただけで死に至るという事実を、誰もつまらないとは思わないのだろうか。

…こんな学説がある。

…哺乳類の種の多様化は、卵と精子の接合すなわち受精が引き金となって、中心体の過剰な複製が起こることで成立したというものだ。

…例えば、旧世界猿の染色体数は、人間のように定まってなどいない。倍以上の数の差でばらついているのだ。

…きっと、三種の神器の誕生にも、この中心体の進化戦術の会得があった筈だ。

…私はそう信じる。

…自らの人生を大安値で売り飛ばしてでも、信じつづけたい。






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肉樹4−2

 男は、「三種の神器」というのがわからない、と呟く。

 神器かどうかはともかく、三種類の変わった動物ならこちらで飼っている。

 男は目をぎらつかせ、僕が視点を移していた水槽の蓋を開ける。そして、毬藻みたいになった水草に息を吹きかけ、指を入れ、即座に引っ込める。

「植物ではないのか?」

 子供の頃はヒドラの形態だが、成長するにつれて胴体にも触手を生やすようになり、シャジクモみたいな水草の外見になる。肥料は太陽光だけで済む。水草の各末端は分離してヒドラになり、育っていく。密生しているため黒々として見えるが、一匹だけ隔離すると緑色であることがわかる。といったことを、掻い摘んで話す。

 男の指先に、血の小玉ができている。

「どうすれば、こんな奴が生まれる?」

 男は、指をしゃぶって訊く。

 ヒドラの単一細胞とクロレラを融合させると緑色のアメーバになり、それが起き上がって筒状に変形し、更に疣が頻繁に出始め、突き出て触手となって、ヒドラが完成される、と説明する。

「こんなものが、あと二つもあるのか?」

 僕は、全面にアルミホイルの貼られた水槽を指す。
男が、水槽に身を投げ出す。そして、小型の古代魚に他の動物の鰓や角や足を移植したのか、と訊く。

 三匹が何らかの要因で合体したのだろう、と推測を答える。

 三匹のウニとホヤの間の子を、共食い等の乱暴な行為をしないよう敷居で隔てて住まわせていたが、三ヶ月後に仕切りの破損を知った時には、甲冑魚のような六本足の一匹が沈んでいたのだった。
ホヤに近い仲間であるサルパは、多数の個体が連結して一匹の動物として生活するが、同様の現象が起こったのかもしれない。もしそうだとしたら、一番目は口と頭、二番目は胸と腹、三番目は肛門と尾というような役割分担をしているのかもしれない。その証拠になり得るかどうかわからないが、各々の目だけは青白い球体として残存している。

 男が、最後の一つに会わせろと急かす。

 僕が冷蔵庫に顔を向けると、男は既に対象へと身を移している。

 命取りになるから室温に出さないように、と忠告しようとするも、既にドアは開け放たれ、黒土の敷かれたシャーレが出される。

 蓋が傾き、低温に抑圧されていた奴等が床に零れ落ちる。

 僕は、シャーレを冷蔵庫に戻す。

 男は頓狂な声をあげ、零れた物を殴り殺す。

「ミミズが、どうして細菌みたいに増殖する?」

 僕は、旧友が信じた幹細胞の力について教える。千切りにしても全身を再生できるプラナリアの全能性幹細胞に匹敵する細胞を、体内に保有しているのだ、と。

 男は、何らかの人の手が加えられたに違いない、増殖の速さが尋常ではない、と疑う。それに対しては、幹細胞とプランクトンの一種が融合し、このミミズは更なる再生能力を獲得することになった、という記録の一端を男に伝え、三という数字はあくまで偶然であり、三種の神器とは無関係だと思うので、どうか気にしないでもらいたい、と言い足し、話題を変える。

 僕は、プロフェッショナルの水準には遠く及ばないが、ペット達の染色体の観察を行っている。並行して、市民対象の理科実験講座で、ボランティアとして生物実験を担当しているが、学校教材として指定されたユスリカの唾液染色体だけではなく、こいつらの染色体も披露しようという野心を持っている。

 そのことを話し終わらないうちに、男はプレパラートを顕微鏡のスタンドに乗せ、接眼レンズに目を押しつける。そして、レンズの調節ネジを少しずつ回していく。そして、レンズから頭を離さないまま、別のプレパラートを取り付けていく。声をかけても、男は無言だ。

 男は観察し終えて、初めて声を発する。高笑いだ。

 凄い。米粒みたいな染色体が何対もある。その数も、細胞ごとにひどく異なっている。

 発見済みだ。

 ミミズにも、間の子にも、そして水草にも、夥しい点状の微小染色体が見られ、その本数も細胞ごとに異なっている。

 微小染色体はバクテリア大のサイズで、鳥類・爬虫類を始め、チョウザメ等の真骨魚類やカモノハシ等の単孔類で存在することが知られている。太古の魚類・爬虫類・鳥類でゲノムの総数を増やして進化しようという試みがあったのかどうかは知らないが、僕の飼う三者に限って言えば、進化への挑戦として考えられないこともない。
男は哄笑する。

 微小染色体が量産されるということは、中心体がスピロヘータだった頃の時代へと先祖返りしたからに他ならない。成功例がお前さんの宝物なら、失敗作は俺の手に入れた標本ということになるかな。

 男は窓を開け、アパートの二階から地上に飛び降り、団地の闇へと姿を消す。

 僕は、夕食の残骸をゴミ袋に押し込んでから、大学ノートの最終ページを開き、紙切れを挿し入れる。両者の筆跡には、違いが見られない。行数とレイアウトも、一致している。
ミミズの全能性幹細胞の可能性に関するイラストは、最終ページではなかった。紙切れの「神器」は、既に揃っていることになる。ノートの著者は、スピロヘータと三者との繋がりに、何かを感づいていたのだろうか。

 紙切れの理解を深めるために、夜通しでペット達の生まれた共通項を整理してみる。

 僕なりに、一つの結論を見出す。

 ミミズの全能性幹細胞はそれに似たプランクトンと、ウニの精子はホヤの卵と、グリーンヒドラの細胞は共生体のクロレラと、細胞融合の過程を通過している。

 細胞融合についても自分なりに文献等を検索しくうちに、融合そのものが刺激となって、セントロメアと呼ばれる染色体の一領域が過剰な複製を起こす、という情報を得られる。更に調べていくと、細胞分裂の過程で中心体から伸びた微小管が、複製されたセントロメアに連結し、染色体同士を引き離し、数量・形態の様々な染色体を作り出すという知見が得られる。その結果、親とは大きく異なる染色体の構成をもつ子孫が生まれてくることになるのだ。

 この一連のプロセスが生殖細胞の形成や受精等で起こることで、一つの祖先から別々の種が生み出されていくのだ、と僕は理解する。ノートの著者が書き残したように、霊長類のみならず哺乳類全般で様々な染色体の構成が観察されるのは、そのためだろう。

 著者は、細胞融合が生物進化を誘発する可能性について、最終ページの中で持論を展開したかったのかもしれない。

 ところで、どうしてこの大学ノートを、園部は所有していたのだろう。前職のポストゲノム研究センター閉鎖後の彼の就職先を、僕は知らない。再会できた時にでも、大学ノートについて聞き出すとしよう。あの全身傷だらけの男の置き土産とも、何らかの接点があるだろうから。そして、ミミズで接点があるかもしれない、旧友の行方についても。

 園部の消息に関連した情報を求めて日々を過ごすが、何事もなく三度の年越しを迎える。

 そして、新しい年の二月になって、園部に会う好機を、バイオ系の無料情報誌でようやく得られる。

 彼は、ジャパン・ゲノムサイエンスフォーラムで研究発表を行う予定だ。僕は、園部の発表日と時間を学会の公式ホームページで確認し、これまでの知識を総整理し、計画を練る。

 当日、会場に入ると、園部が光沢紙のカラフルなポスターを前に、額の汗を拭いながら聞き手と議論している。

 研究内容を拝見するに、センターは独立行政法人化の荒波に揉まれて閉鎖し、事務職員と派遣の実験補助員が全員解雇となったのにも関わらず、園部のプロジェクトは外資系製薬会社の資金援助もあって、企業の研究室として存続しているようなのだ。

 手の空いた園部が、笑顔で挨拶する。

「君も、いきなり解雇されて大変だったろうに」

「いえ、今は高校の理科の非常勤ですし」

 痛まなかった人間に、真の近況など語る必要はない。

 園部は、文系卒の事務職員だった連中について、専門的な知識も技術も身につけていない彼等はホームレスにでも転職して臨海区で寝止まりしているだろう、そこにしか生きる場所がないだろうからね、と言ってのける。

「あそこも今はどうなっているんだか…」

 僕は、園部を昼飯に誘う。彼は、気を利かすなんて君らしくもない、失職してから自己啓発でもしたのか、とからかう。

「いろいろとやっていましたから」

 彼は、笑う度に脂ぎった禿げ頭を撫で回し、隈で縁取られた目元を擦る。

 白熱の議論を交わす参加者達を掻き分け、事前に決めていた近場のファミレスに入る。

 園部はサーロインステーキのセットを、僕は茸雑炊を注文する。品は三分で揃う。園部は、肉汁たっぷりの牛肉を口の中に放り込む。僕はエノキをスプーンに掬って、寄り目を意識して見つめ、筋書き通りの台詞を言う。

「このエノキ、ミミズみたいですね」

 園部の肉を切るナイフが止まる。彼の間抜けた口の開きように吹き出したくなるが、エノキに視線を集中させて堪える。

「何を言うんだ……エノキみたいに白いミミズなんかいるものか」

「いないんですか?」

「当たり前だろう、君は知っているのかね?」

「噂で聞いただけですが」

「誰かの作り話だろう」

「じゃないと思いますよ」

 僕は、スプーン上のエノキを見つめたまま、ミミズの全能性幹細胞の機能解明に挑んだ者達の軌跡を物語ってやる。

 園部の頬がぱんぱんに膨らみ、胸を叩き、コップの水を飲み干す。そして、所詮は世捨て人の自慰ではないか、と扱き下ろす。

 僕は、続きをありのままに語る。

「……」

「そう書かれてあったんですよ」

 園部は、深呼吸を繰り返し、残していたキャロットとマッシュポテトを噛まずに飲み込む。それから、貧乏揺すりでテーブルを揺らし、手を局部に挿み、震える。

「先生にはいろいろと聞きたい。腹を割りましょうよ」

「返せ」

「ノートですか?」

「真実の記録だ」

「その真実のために、私の友人が行方知れずになったかもしれないのです」

「これ以上は答えられん。国の将来に関わる」

 僕は、冷めきったエノキを食べ、雑炊を啜る。そして、持って来ていた大学ノートと首なしの標本を、園部に突きつけてやる。彼の手が取り戻そうとすると、わざと引っ込めて触れさせないようにする。

 園部は唾液を垂れ流し、空気を掻き毟る。そして、泣きべそをかいて、何かを言いかけ、起立し、頭を左右に振りまくり、尿を漏らす。アンモニア臭が立ち込める。

 誰かが、僕の肩を掴み、脇腹に強打が叩き込まれる。電撃だ。体の芯が痺れ、園部の小便の臭いが薄まり、虚無が全感覚を征服する。





posted by ロスジェネ at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

肉樹4−3

意識が戻って目を開けても、何も見えず、指を曲げるだけの体の自由しか利かない。鼻息すら聞こえない。モーターか何かの振動が、背中に伝わるだけだ。
 その振動も突然終わり、誰かに背負われる。座らされて、拘束から初めて解放され、手足の自由と五感を取り戻す。明るさに慣れ、目の前が見え始める。円形テーブルがあり、白衣を着た小太りの男が上座の椅子に座っている。その左右には、覆面と黒装束を身に着けた人達が向かい合っている。
「園部が世話になったね。ところで、ノートをどうやって手に入れた?」
 保身のため、真実を答えておく。
「そいつは阿呆の極みだな。まあ、食器で腹を切る死に方も様になっていたとのことだから、潔しとしよう。こちらとしては、ノートが見つかれば全てよし、だ。途中から見張り役をつけておいた甲斐があったよ……でも、どうして標本も紙切れもあったのだろう?」
「おかしな奴が、置いていきました」
「そいつは、今何処に?」
 知りようがない。あの男は、窓から飛び降りて何処かに去ったのだ。
 とりあえず、名前も知らず、気持ち悪い露出狂だったとだけ、答える。
 機密を知った以上君を釈放できないが、社会人の憧れともいうべき定職に就かせてやろう、と男は僕の再就職を祝福する。
 白衣の男と他の連中が、退室する。
 入れ替わりで、二人の覆面が入室する。僕は部屋を出され、通路を歩かされる。この通路は、コンクリートの灰一色で牛耳られ、覆面の一人がドアを開けなければ、ただの壁としか思えない。
 中は、エレベーターになっている。これに乗って下の階に降り、上の階と同じような通路を歩かされる。
 二人の足音が止まる。一人が壁の色のドアを開け、入るように言う。
 部屋は、僕の家にあった衣類と専門書、そして勉強机が揃えられている。冷蔵庫を開けてみると、水入りのペットボトルが入っている。しかし、ミミズはいない。水槽も、顕微鏡その他の染色用の道具も、標本も、大学ノートも、この部屋には見当たらない。
電話の音が鳴る。勉強机の受話器だ。
―私だ。
―貴方ですか。
―所長と呼びたまえ。
―所長、私の仕事は何ですか?
―すぐに始まるよ。それよりどうだね、居心地は?
―快適です。ただ、幾つか足りないような気がしますが。
―こちらで保管している。それに、どのみち君の手元に戻ることはない。
 覆面の男に部屋を出され、エレベーターで一番下の階に降ろされる。それから、下り階段を歩き終え、覆面がダイヤルを合わせて扉を開けると、そこは更衣室だ。男は、毛皮のコート手袋を着けてから霜のついた奥の扉を開けるように言う。言われた通りにして、取っ手を回す。冷気が顔面に直撃し、息苦しくなる。
 男女が、うずたかく積まれている。
 背を向けようとする僕の尻を、覆面が蹴りつける。
「穴に落とせ。それが貴様の仕事だ」
 死体をここで寸断して処分するのだという。その仏達の胸から局部までが、きれいに抉られている。
 覆面は、部屋を出る。
 僕は、かちかちに凍った死体を山から下ろし、穴へと牽引する。その男の顔立ちに、人並みの苦労を知らずして生きてきた弱さが沈着しているように思える。その死体を蹴り落とすと、次を山から引き摺る。
 プッシュホンの音が鳴る。入口前に、受話器が取り付けられてある。
―私だ。
―所長、現在業務を進行中です。
 僕は、彼等の内臓が削がれている理由について質問する。
 所長は、科学者として報酬を受けるには非力すぎた若手の博士達が、勇躍すべき舞台を求めて流れ着いた結末なのだと力説し、臓器の一部はドナーを待ち侘びる患者に提供され、彼等もそれを僥倖として受け入れ、来世で至福の境地に浸っているのだと明言する。
 一部とはどういう意味かと言いかけたところで、電話は切れてしまう。
 圧搾機は、刃物付きの歯車を回して唸りつづけている。
 僕は、突き落としかけていた女性の腋を蹴る。
 彼女は頭から真っ逆さまになって穴に落ちる途中で、首を断たれ、幾つかの多角形となって跳ね回り、小さくなる。刃物にたらい回しにされたサイコロ達は、屑となって吸い込まれていく。




posted by ロスジェネ at 04:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

肉樹5

 重要物件は思いの外、手軽に入手できた。俺は、奴の新居を見つけ出して侵入し、奴の家族と思しき中年女と小娘を眠らせ、書斎を怨恨に任せて荒らしまくった。それだけで、辞書の見かけをした机上の箱の中にラミネート加工されたカードがあるのを、月明かりから見つけることができたのだ。このカードには、裏側に紙切れがはまっており、開いてみると見取り図が描かれていた。真っ直ぐに伸びた道の所々に分岐ができており、一本の分岐を選ぶと山奥の星印で行き止まりになっていた。

 俺は、カードと地図を失敬し、使えそうな日用品を略奪し、救急箱にあった未使用の包帯を顔に巻く。人目を引く顔には変わりないが、風が吹くだけで痛む火傷の後遺症も、これで幾分か和らぐだろう。
同志達と探索の日々を共に過ごしたアジトに、直行する。
錠の下ろされた鉄の門を飛び越え、枯れ草で塞がった倉庫の入口をくぐり抜ける。

 もぬけの空だ。

 仲間達と集めてきたお宝の数々が、蒸発している。

 しかし、宝の有無は問題ではない。奴の潜伏しているであろう居城に攻め入るまでの寝床になれば、それで十分だ。俺は、万年床として使っていたダンボールと新聞紙の山に、身を埋めようと屈む。

「お前か……生きていたのだな」

 何時の間にか、背の高い男が立ちはだかっている。声に聞き覚えはあるが、入口から漏れる朝日が映し出すケロイドと化した面に、見覚えがない。

「宝は自宅に保管している。それより、よくぞ焼け死なずに生き延びてくれた」

 大した醜男に成り下がった。しかし、気配を感じさせない身のこなしと心の読みは健在だ。

「ああ。無事で何よりだ」

 永那は、騙されたと思って話を聞いてくれ、と言う。

 奇妙なこともあるものだ。

 奴と俺は王様と奴隷の関係にあったが、永那と奴は売り手と買い手の関係にあったのだ。

 永那が言うには、奴は都心の新設の大学院で教鞭を執っていたが、踊る死骸の探索を決行した年に行方不明者になったという。にも係わらず、奴だけが購入していた外国製の試薬が、国関係の研究機関で今も購入されつづけているというのだ。ただし、実際に使用している研究者については、個人情報保護のため、手がかりを得られていないという。

 間違いない。奴は潜伏している。

 俺は、奴の家で得た収穫を永那に見せる。

「これは?」

「紙は隠れ家を示した地図で、カードはそこで必要な鍵だと思う」

 そして、俺は奴への冷め遣らぬ憎悪を告白する。

 永那は涼しげな笑い声を発し、彼に私怨はないが個人的に興味を持っている、もっと深く知りたい、と言う。彼は、壁に立てかけてあるアタッシュケースを開け、中から紙切れを取り出す。

 LifeMaker Centromere siRNA Blockerと製品名が記載され、原理についての解説文がある。

 siRNAというサイズの短いRNAは、相補的な塩基配列を持ったmRNAに特異的に結合して遺伝子発現を抑制できることが知られ、線虫を始めとする多数の動植物で発見されている。製品中のRNAは、染色体中のセントロメアから転写されるsiRNAと相補的な配列を持つため、セントロメアによる遺伝子発現の抑制を阻害できる。その結果、本来ならば働かない筈の遺伝子が働き出すようになる。

 永那は、この薬品をミルクと呼ぶ。内容物の液体が乳白色なのだという。それから、生物のバックグラウンドのあるお前なら、宝を探し当てるように何か嗅ぎつけられはしないか、と俺に訊く。

 ミルクがどのように関与するのかについては今一つ思い描けないが、染色体のサイズと数を変える道具ではないか、と答える。

「変わると、どうなる?」

「寄生虫が踊り狂う。失敗すれば、そうなると思う」

「では、成功すると?」

「怪物ができるかもしれない」

 若造の家で極上の飯を頂いた夜は、筆者の考えを見通せた快感で頭が空白になってしまい、我に返って忘れ物を取りに行こうと思った時には見知らぬ郊外のゴミ置き場にいて、道程を思い出せずじまいだった。

 俺達は、アジトを後にする。

 皮膚の色のマスクをつけた永那について来いと言われ、酒気を帯びたサラリーマンの群を押し退け、ピンクサロンの集中した路地を何回も曲がり、ソープランドの裏に着く。駐車場になっており、漆黒のスポーツカーが停められている。

 永那は、ここが亡き同志の勤め先だった、と言う。

「どいつの食い扶持だったんだ?」

「お前を河川敷で相手した、二人のだ」

 研究所での探索で、俺の前に立ちはだかった影に絡みついた二人を思い出す。髭面と坊主頭かもしれなかった。人相を確かめる暇などなかったが。

 俺達を乗せた車は高速道路に入り、北上する。照明灯が鎌首をもたげているが、生きているのはほんの数本だけだ。

 俺達以外にこの道路を疾走している者はいない。

 諸事業の民営化政策の一環で無料開放となった高速も、照明灯の修理をされてさえいれば、また、料金所撤去の後を追うように交通事故防止の設備が撤収されなければ、完全無欠のカスタマーサービスといえた。今となっては、混雑のあり得ない、安全神話を放棄した三車線だけが残されている。高速道路の無人化といい、臨界区の掃討戦といい、現内閣の構造改革は底が知れない。

 永那に言わせれば、彼等の政策そのものがファンタジーであり、月に一度しか新聞を読まなくても、彼等の政策がもたらす経済効果は手に取るようにわかるのだという。

 車は高速を抜ける。

 国道に入ると、夜が俄然濃くなる。ライトを遠目に点けていても、アスファルトが続いていることすら怪しく思える。

 永那が減速し、アルビノのオタマジャクシの標本作製者について思い当たる節がある、と言い出す。それが後部座席のアタッシュケースにあると言うので開けると、あの筒が横たわっているではないか。俺と彼との初対面を橋渡しした奇形だ。永那が、ガラスの筒の底に何かが彫られていないか、と訊く。

 A・K。

 懐かしさが吹っ飛ぶ。

 俺の指導教官だった奴と同一のイニシャルだ。

「あの糞野郎が作ったのか?」

 断定はできないが、と永那はアクセルを踏む。

「もしそうならば、構造改革以上のウルトラCということになるな」






posted by ロスジェネ at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

肉樹6

 人体圧搾の補助作業に、僕は飽きていた。かといって、終業時刻まではダイヤルロックのかかった扉から外には出られなかった。運転手姿の男が自室に訪れ、業務にも慣れただろうから所内を見学させてやる、と言ってくれなければ、死体を寸断する穴に身投げしていたかもしれない。

 所長と初めて会った部屋で待たされていると、皺で波打つ白衣を着た本人が現れる。

「せっかくの機会だ。じっくり見るといい」

 二名の黒装束の覆面に挟まれて一階下のフロアに移動し、通路の行き止まりの扉に着くと、扉の傍らに設置されたプレートに、所長がカードを押し当てる。回転音が鳴る。

 所長と運転手姿の男に促されて、入室する。ガラス張りの向こうで、白尽くめの従業員が、シャーレを積んだ籠を持ち歩いている。

 所長が、説明を始める。

 血球・表皮・筋肉その他のいろいろな組織幹細胞を揃えており、分化状態に応じて細分化され、二十四時間体制で管理している。

「用途については、後ほど明かそう」

 別のエレベーターに乗り、上の階に移動する。同じく、所長のカードによって、鍵が解除される。

 透明な容器が天井まで積み上げられた、通路の狭い部屋だ。どの容器にも、ラットと同じくらいの大きさの獣が餌を食べ、藁の中で居眠りし、仲間達とじゃれ合っている。飼われている獣は、習性として遺伝的に刷り込まれているのか、それとも、生まれる前から特定の遺伝子を破壊されているのか、どれもが逆立ちをしている。そして、僕の知るラットよりも、手足と尻尾が体全体に対して極端に短く、肘と膝の関節がわからない。また、目は黒々として大きく、四本の鼻で体を支えて歩いている。

 核実験で南洋の諸島と共に消滅した絶滅種なのだが、旧陸軍の研究部隊の一族によって、地道かつ秘密裏に飼育されてきたらしいのだ。

 僕は、所長の今の説明で、この動物がラットの変異体ではなくハナアルキであると察しがつく。あくまで想像力豊かなフィクションとして、その哺乳類を認識していた。鼻で歩く種のみならず、鼻で飛び跳ねる種、鼻で餌を捕獲する種、鼻で音を奏でる種、と鼻の数や使い道が多様化しているのだ。

 所長は、このハナアルキが実験動物として打って付けである理由を挙げる。飼育方法が確立しているし、生殖能力は低いが寿命が長いし、草食で大人しい。

 ところで、あの全裸の男が置いていった標本、あれは、ハナアルキそのものではなかったか、体長も同じくらいではなかったか、とふと考え、訊いてみる。

「ご名答だ」

 所長と運転手姿の男が、入口へと歩き出す。もたもたするな、と覆面達が僕の背中を押す。

 別のエレベーターに乗り換え、飼育室より数倍下の階に移動する。エレベーターの両開きのドアが開く。目の前の入口は閉ざされているが、所長のカードが触れると五重の両扉となって開かれていく。
大広間には、ガラスの筒が等間隔に配置されている。そのガラス張りが除かれた一つの傍らで、白尽くめの従業員達が何やら筆記している。その足下には、細胞を飼う部屋で見た籠が置かれており、彼の隣にいる従業員が手作業に勤しんでいる。

「ついている。私も説明がしやすい」

 所長達と筒まで行くと、力士と比べても見劣りしない肌色の獣が、その尻尾を筒の中の竿に巻きつけられている。竿の上には、液体の入ったタンクが取り付けられ、管を通して獣と接続している。その腹の傷口に、従業員の一人が手を突っ込んでいる。獣は目を瞑ったまま、瞼を震わせ、呼吸している。

「目覚めることはない」

 運転手姿の男が言う。人間でいう植物状態にあり、麻酔抜きで切っても縫っても鳴きも暴れもしない。そして、栄養と水分を補給してやれば、飢えや渇きとも無縁でいられる。

 所長が、彼の説明を継ぐ。

 先の飼育室のハナアルキを改変して体毛の生えない個体を選り抜いて確立した系統に、成長ホルモンを投与して巨体にし、脳の特定の部位に損傷を与えて植物状態にした。元々大人しい種だが、円筒の中で好き勝手に動かれると厄介なので、この方が実験に好都合である。また、図体がでかくなったことで、寿命もスタミナも飼育室のそれより格段に増し、実験したい時に実験できるようになった。

 従業員の足下にはあの籠があり、培養皿が積まれている。細胞らしき名前と培養を開始しただろう日付が記載されているが、その名前は僕の読破してきた教科書や文献にはない。

「世間の科学者でさえ知らんよ。若い命の賜物だからね」

 別の従業員が所長に駆け寄り、至急来てほしいと頭を下げる。

 所長が、僕等に手招きする。

 そこでは、吊るされたハナアルキの腹から垂れた瘤が、リズミカルに震えている。

 所長を呼んだ従業員はハサミを握り、瘤の付け根に刃を入れる。瘤の半周まで刃を進めると、従業員が、切り口へと腕を押し入れる。
その腕が、引き抜かれる。従業員の手の中で、楕円球が赤みを帯びて照り輝いている。それは、彼の傍らに用意されていたアイスボックスに入れられる。

 所長は、ドーム状の天井を見上げ、ツメガエルで成功していたことがようやく哺乳類でも実を結びそうだ、と言う。
「試験管の中でツメガエルの臓器を作成できることは、知っているかな?」

 大まかだが、知っている。

 ツメガエルの胚のアニマルキャップという領域を分離し、試験管内でアクチビン等の生体物質の濃度を変えて加えることで、表皮・腎臓・血液・神経・筋肉・腸管・軟骨等の器官形成を実現できる手法だ。

 所長は、腎臓を除いたオタマジャクシは水分を排出できずに体が丸く膨らむが、このアッセイで作成した腎臓を移植するとその異常が治ること、等の知見を語る。

 そして、免疫系による異物への拒絶反応を一生持たない特異体質であるからこそ、ツメガエルを超越する系を哺乳類で完成させるための土台になれるのだという。

 ただし、移植する細胞集団にも細工を施す必要がある、と所長は強調する。移植される人間由来の体細胞と臓器由来の組織幹細胞を混合し、電気刺激をかけて融合させる。作製された融合細胞は、ハナアルキの体が外からの異物に対して寛容なので拒絶されないし、ドナーの抗原を持つから移植先での免疫系の攻撃も回避できる。まだ臨床試験を行う段階には至っていないが、そうなる筈だ。

 更にもう一工夫が必要だ、と所長は補足する。

「破られたページを思い出すといい」

 所長は、中心体やその他のsiRNAを干渉することで、融合細胞の分化能を柔軟にし、かつ限定することも可能なのだ、と声高に言う。

 ノートの真の最終ページとなるあの紙切れには、中心体の過剰な複製による微小染色体の生産についての記述はあるものの、あくまで動物種の多様化をもたらしたメカニズムの仮説であって、臓器形成との関連性については触れられていない。

「以前よりも鮮度が改善されました」

 記録をとっている従業員の声が明るい。

「でも、まだまだ検討できると思いますが」

 目的とする器官に応じて配列を検討した上で専用の試薬を発注するのだが、今までにも天文学的な配列の組み合わせに挑んできたのだと言い、その日々が長々と語られる。

 脱線した話が、RNAの干渉の続きに戻る。

 決定した条件の試薬で処理を施してから植えた融合細胞は、器官形成に都合の良い成長因子・ホルモン・サイトカインだけを近隣の細胞や血液中から摂取して育つのだ。

「ここまで来られたのも、ノートのおかげだ。あれから数多くのアイディアを学べたからね」

 細胞に加える試薬の保管された部屋に移動するが、生きた肉の袋が脳裏に焼き印となって刻まれ、ボトルに書かれたラベルの内容や実験の操作手順の説明にまで、頭が回らない。

 仕事部屋に帰った後、内臓を捧げた同世代を蹴り落し、細切れにされていく冷凍肉を見下ろしながら、大学ノートから始まった我が一人旅の結末までの年月を回想する。次の死体を突き落とそうと立ち上がるが、どうしても、足に力が入らない。




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肉樹7

 通気口を滑降し、出口が迫る。永那が、銃を構えろと促す。俺は、構えて光の中へ飛び込み、無差別に撃